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聞こえにくいって、どんなふう?


 わたしは中等度難聴者だ。両耳に補聴器をつけている。

 聞こえにくいことを、誰かに説明することって、難しい。長年、どんなふうに説明したら、わかってもらいやすいだろうかと、考えてきた。聞こえを見えることに例えたらいいのかも。思いついたのは…

 「ところどころ、滲んで読めなくなった文字がある、本」を読むこと。

 だから、前後の文字から、内容を想像する。しかも、この「本」の文字は、体調などで、滲む場所や、滲む文字の数が違ってくる。文字の滲み具合も、いつも同じではない。滲んだ文字を解読しようと、いつも神経を使うから、とても疲れやすい。

 そうやって、なんとか読んだ文字なのに、勘違いして、全く違う内容として捉えてしまうことも、たびたびある。笑い話のようだけれど、当の本人は全く笑えない。相手があることだと、ただ申し訳なくて、自分への信頼も失せる。

 聞こえに困っていない人の多くは、「本」に書かれている主題が、わかりやすくなっているみたいだ。大文字で書かれているみたいに。聞き取りたい部分だけを聞き、雑音は聞かず、例えば、話している人の声にフォーカスすること。

 これも、わたしには難しい。周りの音も同じように聞いてしまい、そこから、聞きたい声や音を拾えないからだ。わたしの「本」は、全て同じ大きさの文字しかないみたい。

 こんなふうだから、反応も鈍くなりがちだ。理解するのに、何行程も必要だもの。頭は、フル回転してるんだけれど。お見せできないのが、とても残念。

 この負担を軽くしてくれるのが、補聴器だと思っている。つけるだけで、聞き取りが良くなるわけではない。聞き取れるように、訓練する必要があるが、補聴器に慣れてくると、随分と楽になると思う。

 けれど、補聴器をつけることを、迷われる方も多いだろう。いくら便利でも、いいと言われていても。だって、補聴器をつけるということは、難聴である自分を、ある程度とはいえ、受け入れる必要があるから。

 もう聞こえる人の世界には戻れないような、そんな悲しさや孤独感、そういうものを乗り越えた先に、補聴器はある気がする。わたしは、そうだった。もちろん、もっと気楽に補聴器をつける方もいるだろう。そうであったらいいなと願うし、振り返れば、世界はひとつで、分かれてなんか、いなかった。

 補聴器にたどり着けた方たちが、補聴器のある世界を楽しむことができますように。いろんなことが楽になりますように。コミュニケーションを諦めず、やりたいことができますように。




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