夫婦別姓がよかったので、事実婚で出産して出生届を出しました
前回の記事で、私と夫が事実婚であることとその理由、そして妊娠してから直面したことについて書きました。
今回は、その後に子ども(一人目)が無事産まれ、出生届を役所に提出したときの話です。
※今から3年くらい前の話になりますのであしからず。
出産するまで
私が出産したのは自宅から一番近かった個人病院でしたが、私と夫の名字が違うのを「何か訳ありなのかな…」と思われるかな、と思ったので (気にしすぎ説)、
「事実婚なんですよー。いや、特に大した理由はないんですけどね~」
という軽い感じであらかじめ病院のスタッフさんには話していました。
スタッフさんからは
「子どもが産まれてから結婚(入籍)する人はいるけど、産まれてもしないなんて珍しいですねー」
と言われました。
(単純に珍しいなぁ、という様子で。もちろん内心は分かりませんが。)
で、その産院での壮絶なお産を経て、産後の約一週間の入院生活から退院した日に、有給をとっていた夫と一緒に市役所に行きました。
(新生児は産後来てくれていた母に任せました。)
※妊娠・出産の話は、一応別で記録に残しているので、また別の機会に記事を書きたいと思います。
産後、市役所に届けを出しに行く
まだ体力も十分回復してないし下半身は痛いしで、歩くのもそろーりそろーり…の状態だったので、市役所に行くのもしんどかったです。
身体はしんどかったんですが、認知も出す関係で夫も一緒に行く必要があって(※委任状があれば大丈夫だったと思うけど、ちゃんと手続きできるか不安もあり…)、夫がなかなか平日休めないので仕方なかった。
法律婚している場合だと、普通に出生届を書いて出せばいいだけなのですが、私たちの場合は特殊パターン。
市役所の窓口で「こうこうこういう形なんですけど、どうしたらいいですかね?」と聞きました。
「確認しますのでお待ちください」と言われ、しばし待たされました。
やっぱり珍しいパータンみたいで役所の方も困っておられる様子でしたが、別に嫌そうな感じはまったく受けなくて、ただ珍しいパターンだから手順がわからない、という様子でした。
しばらく待たされて、職員さんが持ってこられたのは「国際結婚の記入例」でした。
なるほどー!と思いましたね。
確かに、例えば日本人の女性と外国人の男性が結婚(法律婚)する場合は、基本的には夫婦は別姓です。
逆に夫婦同姓にするためには、家庭裁判所を通して手続きが必要になります。
そしてその夫婦が日本で子どもを持った場合、子どもの名字は自動的に母親の名字になります。
こちらも、もし子どもが父親の名字を名乗りたい場合は手続きが必要です。
つまり、国際結婚で子どもを持つパターンと、事実婚で夫婦別姓で子どもを持つパターンは、出生届の記入の仕方はほぼ同じ、という訳です。
ということで国際結婚の記入例を見ながら出生届を記入&提出して、同時に父親の認知届も提出しまして、無事、子どもが「社会的に」誕生いたしました。
子どもの名字は母親である私の名字です。
そのほかにも市役所で、子どもの健康保険とか児童手当とかに関する説明を聞いたり書類をもらったりして、手続き完了。
結局のところ、この手続きを終えてしまえば、戸籍と名字が違うこと以外、生活するうえで実質的には法律婚の夫婦+子どもの家庭と何も変わりません。
シングルマザー・シングルファーザーの家庭とは事実上異なる(法律婚はしていないが、事実上夫が同居していて生活資金の援助がある)ので、シングル家庭がもらえれるような手当も特にありません。
なお子どもの健康保険については、給料が夫のほうがやや高いので、子どもは夫の健康保険に入り、夫の扶養家族となりました。
手続きは夫の会社の事務の方がされたので詳細は不明ですが、普通に子どもと夫の名字が違うまま、子どもと夫の名前が記載された保険証をもらいました。
子どもの名字はどっちがいいのか?
以上のような各種手続きを終えて、今はもうずいぶん経ちましたが、子どもの名字を私のほうにしておいて正解だった、と今のところは思ってます。
というのも、たとえば予防接種や定期健診で子どもを病院に連れていくのは育休をとっていた私になるので、名字が同じほうが病院側も分かりやすくスムーズです。
たから、もし「妻が産後すぐ復職して、夫が専業主夫になる」というパータンの家庭だったら、逆に夫の名字にしておいたほうがいいんじゃないかと思います。
夫婦別姓(選択的夫婦別姓)を反対する理由に「名字が違うと家族の絆が弱くなる」みたいな意見を聞くのですが、国際結婚だったら絆が弱いんですかね?
国際結婚の家族に失礼ですし、名字が違うだけで絆が弱くなる家族なんて、そもそもそれっぽっちの関係性なんかい!と思ってしまいます。
これからの時代、「家」の概念も、「墓」の在り方も、養子縁組のことも考えたら「血のつながり」でさえ、もっと自由な認識にどんどんなっていくんじゃないかな、と思います。
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