マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第19回「木の葉どんぶり」

1971年4月からの1年間だけ、神戸で浪人生活を送った。親戚が新開地から10分ほどの場所にある、稲荷市場で精肉店を営んでおり、そこでアルバイトしながら、花隈にある予備校に通う生活だった。住まいも親戚が持っていた長屋の一軒を倉庫に使っており、その2階を使わせてもらうことになった。
稲荷市場というのは、神戸製鋼や川崎重工の工場に近い場所で、周囲の環境はいいとは言えなかった。少し行った先に、ダイエーの中内さんのお父さんが経営していた薬局があったという歴史的な土地でもあった。
神戸という街は、神戸駅を境に東へ行けばステータスが上がり、西へ行くほど下町の風情が増す土地柄だった。出身地の淡路島も柄がいいとは言い難いが、稲荷市場は独特の雰囲気があった。
仕事終わりに、店の職人さんにお茶しようと誘われて喫茶店へ行った時、まず先制パンチのように繰り出されたのが、今や関西でも大阪一部でしか使われなくなった「冷コー」だ。最初は何のことやら、わからなかった。もちろん自分も郷に入れば、郷に従えで「冷コー」を御相伴した。

言葉はきれいだが、パンチ力がない木の葉どんぶり

これ以外にも、中身が理解できない食べものもあった。ある時、夕方にお客が立て込んで、翌日の仕込みが間に合わず、シャッターを下ろして、残業することになり、近くの食堂から出前を取ることになった。
実を言うと、淡路島の私の出身地では、出前を取れるような店はないので、この時はかなり緊張したことも事実だ。メニュー表を出してきて、みんなでワイワイガヤガヤやっているが、何を頼べばいいのか、あまり高いものはいけないかなと焦った。
その時、助け舟を出してくれたのが、店のおばさんで「若いんだから、きつねうどんだけでは、物足りないはずなので、木の葉どんぶりも取ればといってくれ、ダブルオーすることになった。
しかし、一難去ってまた一難、「木の葉どんぶり」が分からない。本当に紅葉が入いたらどうしようと悩むことになった。それから、およそ15分後、出前が届いてみれば、心配することはなかった。要は「親子どんぶり」なら「かしわ」、「他人どんぶり」なら牛肉の代わりに、かまぼこを刻んだものを玉子でとじたどんぶりだった。
味の方も決してまずくはない。かまぼこ自体あっさりしているが、それを玉子でカバーして、どんぶりとして完成していた。味の濃いどんぶりが苦手な人にとっては食べやすいかもしれない。
しかし、まだ20歳前の食べ盛りで、生来こってり系が好きな私には、やはり物足りない。ネーミングは粋だが、名前だけでは食欲は満たされない。それ以降、忙しくて出前を取ろうかという時には、私はカツ丼か親子丼を頼むことにした。


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