マイ・フェイバリットフーズ/食でたどる70年 第2回「釜揚げいかなご」

今や漁獲量が激減し、入漁1日で漁が中止になることもある「いかなご」。春先に釜揚げのいかなごを食べることが、私にとってまた「春」が巡ってくることを知る「時知らせ」だった。3月から4月にかけて、関西出張があると、仕事が終わった道すがら、最寄りのスーパーでいかなごを買って帰るのが、いつしか習慣になっていた。
ところが、最近スーパーに並ぶ釜揚げのいかなごは、使用しているパッケージは従来と同じなのだが、内容量が少なくなってしまったため、よくこんなに上手に並べたなと思うほど、薄く並べられており、髪の毛が薄くなった紳士の、と見まがうほどだ。
私の出身地、淡路島でもいかなご漁は、はるか以前に漁獲量が減って、漁そのものがなくなっている。昔は豊漁に沸いた、いかなごもカタクチイワシもすっかり取れなくなった。当時は浜に釜揚げの作業場が設けられ、いかなごやイワシのシーズンになると、女性が駆り出されて、釜揚げ作業に従事したものだ。
中学生の頃は、海岸線の道路を使い、自転車通学していたが、シーズンになると沖合の海の色が部分的に変わる。これはイワシの群れが、大きな魚から逃げるため、群れになっているからで、よくイワシの大群と競争したものだ。

自分の好みは釜揚げいかなごの醬油かけ

小さい頃、いかなごシーズンになると、父親に片手鍋を渡され、「作業場へ行って、これにいかなごを入れてもらってこい」と言いつけられた。持ち帰ると父親が、少し大きめの鍋に湯を沸かせており、それにいかなごを入れて、味付けしたら、さっと玉子で閉じて、青ネギを散らして、ご飯をかっ込んだものだ。
しかし、いかなごも春が深まれば、大きくなっ「カマスゴ」になる。それはワカサギのように軽くつけ焼きにしたり、湯がいたものを酢味噌で食べたりしたが、あまり好きではなかった。
やはり、私の好みは釜揚げいかなごに醤油をかけた食べ方に尽きる。神戸あたりでは、いかなごの釘煮、つまり佃煮にしてありがたがって食べている。しかし、これでは釜揚げいかなごの風味が亡くなってしまう。ある時、東京・阿佐ヶ谷のしゃれた居酒屋で、いかなごのかき揚げがあったから、頼んでみたが、これも風味が飛んでしまい、いただけなかった。
どうも考えると、釜揚げの現場を知らない人にとって、釜揚げいかなごの独特の生臭さが合わないようだ。慣れた者にとって、あの生臭こそが、いかなごのおいしさなのだが、受け付けない人の方が多い。私の妻も横浜生まれで、釜揚げいかなごにはなじめなかった一人だ。
とはいえ、私も偉そうなことは言えない。つい最近までいかなごは、カタクチイワシの小さい時期のことだとばかり思っていたのだが、実際には「スズキ目イカナゴ科」に属している、立派ないわれのある魚種らしい。ただ出自はともかく、もう少し漁獲量が増えてほしい。釜揚げいかなごに、ハウス栽培のスダチを奮発し、醤油を回しかけて食べるのが、数少ない贅沢なのだから。

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