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スイス元軍事情報将校 NATO顧問「ロシアを弱体化させるために米国とEUはウクライナを犠牲にしている」2022年4月15日

2014年の始まりとロシア侵攻のもっとも詳細な経緯

翻訳元 https://thegrayzone.com/2022/04/15/us-eu-sacrificing-ukraine-to-weaken-russia-fmr-nato-adviser/

Aaron MATÉ  2022年4月15日
Guest : Jacques BAUD


(音声書き起こし)

AARON MATÉ: プッシュバックへようこそ、 アーロン・マテです。 ジャック・ボー氏にお越しいただいています。 彼はNATO、国連、スイス軍でセキュリティとアドバイザリーの上級職を歴任してきました。 また、スイス戦略情報局の元戦略情報士官でもあります。 ジャック、ご出演ありがとうございます。

JACQUES BAUD: お招きありがとうございます。

AARON MATÉ:まず、あなたの経歴と、それがウクライナの危機を見通すのにどのように役立ったか話していただけますか。

JACQUES BAUD:ご紹介いただいたように、私は戦略情報士官です。 私はワルシャワ条約機構の戦略的な部隊を担当していました。冷戦時代のことでしたが、それでも、東欧で起きていることをよく知ることができました。 ロシア語を話すことも読むこともできて、ドキュメントにアクセスできました。 近年は、私はNATOに出向し、小型武器の拡散に対抗する闘いの責任者を務めていました。 そしてその立場で、2014年以降、ウクライナのNATOとのいくつかのプロジェクトに携わりました。 なので、そのあたりの事情はよく分かっています。 2014年にはドンバスで小型兵器の流入の可能性を監視していました。 また、私は以前、国連で装甲部隊の復旧に取り組んでいました。そのため、ウクライナ軍が人事問題や自殺、2014年に起こったようなあらゆる種類の問題、また軍人の採用に関する問題に直面したとき、NATO側からウクライナ軍の復旧に関するいくつかのプロジェクトに参加するように要請されたのです。 これが、かい摘んで言えば、この分野での私の経歴です。

AARON MATÉ:この番組のノートにリンクしておきますが、あなたはウクライナ紛争の原因を大きく3つに分けて説明しています。 戦略面ではNATOの拡大、政治面ではミンスク協定の履行を拒否する西側諸国、そして作戦面では、過去数年にわたるドンバスの市民に対する、継続的で反復的な攻撃と2022年2月末のその劇的な増加です。
まず、そこからお聞きします。 2月、ロシア侵攻につながった期間ですね、直近ですが、ドンバスの市民に劇的に増加したとおっしゃることについて、また、言われるような攻撃のエスカレーションがこの戦争、このロシア侵攻にどのようにつながったか、話してください。

JACQUES BAUD : ええ、ご承知のように、実際は戦争は今年の2月24日に始まったわけではないことを理解する必要があると思います。 2014年にすでに始まっているのです。ロシア側はこの紛争が政治的なレベルで解決されることを常に望んでいたと思います。つまり、ミンスク合意などです。 ですから基本的に、ドンバスで攻撃を開始する決定につながったのは、2014年以降に起こったそういう物事ではありません。 そこにはきっかけがあり、きっかけは2つあります。つまり、2つのフェーズでやってきたといえばいいのでしょうか。

ひとつは、2021年3月、つまり昨年、ヴォロディミル・ゼレンスキーが採択した、クリミアを武力で奪還するという決定と法律がありまして、ロシア側はこうして着々と積まれていくことについて完全に認識していたと思います。 ロシア側はドンバス共和国に対する作戦が開始されることは知っていましたが、いつ開始されるかは知りませんでした。もちろん、彼らはそれを観察していただけで、本当のきっかけはそれからです。

2月16日だったと思いますが、ジョー・バイデンが記者会見で、ロシアが攻撃してくることは分かっていると語ったのを覚えているでしょうか。 どうしてそんなことがわかるのでしょう? というのも、私はまだ何人かコンタクトを持っていますが、実は誰も、1月末から2月初めまではロシアがウクライナを攻撃するとは思っていなかったのです。 だから、バイデンはロシアが攻めてくることを認識するような何かがあったに違いないのです。
この何かというのは、2月16日からドンバスへの砲撃が激増し、これは実際、OSCE(欧州安全保障協力機構)の(国境)監視団によって観察され、彼らはこの違反の増加を記録し、それは大規模な違反であることを確認していました。 つまり、以前の約30倍の違反があったというわけです。過去8年間は、双方から多くの違反がありました。 しかし、2月16日に突然、ウクライナ側の違反が激増した。 ロシア側、特にウラジーミル・プーチンにとって、これは作戦(ウクライナの作戦)が始まろうとしている兆候でした。

それからすべてが始まりました。つまり、すべての出来事が非常に速く起こったのです。 つまり、数字で見ると、先ほど言ったように、16日から17日にかけて急激に増え、2月18日にある種の最大値を記録し、それが続いていることがわかります。

そして、ロシア議会、ドゥーマもこの攻防を意識して、ドンバスの2つの自称共和国の独立を認めるようプーチンに求める決議案を可決しました。 そして、プーチンは2月21日にそれを決定したのです。 そして、この2つの共和国の独立を認める政令、法律を採択した直後に、プーチンはこの2つの共和国と友好援助協定に調印したのです。 なぜ、そんなことをしたのか? というと、それは、両共和国が攻撃を受けた場合に、軍事的な支援を要請することができるようにするためです。 だから、2月24日にプーチンが攻撃開始を決定したとき、攻撃時の援助を定めた国連憲章第51条を発動することができたのです。

AARON MATÉ:ご指摘の通り、OSCEは停戦違反の大幅な増加、反政府勢力側での砲撃を記録しましたが、あなたが観察したウクライナ軍の配置から、ウクライナ軍による差し迫った侵略や襲撃の脅威は本物だったとお考えですか? 前線の反対側でどのように配置されていたかによって、それを測ることができますか?

JACQUES BAUD : はい。 もちろんです。まず、我々は報告を受けており、その報告はここ2、3ヶ月で公開されていました。 昨年以来、私たちはウクライナ軍がロシアとの東の国境ではなく、ドンバスとの接触線との国境で、国の南部で彼らの軍隊を増強していることを知っていました。 そして、実際のところ2月24日から見てきたように、ロシア軍の特に北部での攻勢開始においてほとんど抵抗はありませんでした。 そのため、ロシア軍は南、つまりドンバスとウクライナ本土の間の南東部で、ウクライナ軍を包囲することができたのです。 現在、ウクライナ軍の大部分はそこにいます。 これはまさにロシアのドクトリン、つまり作戦のドクトリンです。 プーチンが述べた目的は、後で詳しく説明しますが、 プーチンの目的は非武装化と非ナチ化でした。

この2つの目標は、実際には、国の南部で達成されようとしており、攻勢の主な努力はそこで行われたのです。 攻撃命令の中で、キエフに対する努力は、いわゆる二次的な努力であり、事実として、基本的に2つの機能がありました。 まず、キエフの政治指導者に圧力をかけること。ゲームの目的は、ウクライナ人を交渉に参加させることだからです。 それがこの二次的努力の第1の目的でした。

2つ目の目的は、ドンバス地域の主要部隊を強化できないように、残りのウクライナ装甲部隊を拘束または固定することでした。 これは非常に効果的でした。つまり、ロシア軍は、先ほど言ったように、こうして主要な軍隊、つまりウクライナ軍の大部分を包囲することができるのです。 それが達成されれば、キエフからいくらか軍を撤退させることができます。それが彼らが3月末から行ったことです。彼らは、自分たちが望むものを強化するために、いくつかの部隊を撤退させました。キエフ周辺から部隊を撤退させ、この部隊は、ドンバスの主戦力に対する攻撃と先陣の脇を固めることになります。ドンバス地域で現在行われている「すべての戦いの母」と呼ばれる戦いは、ウクライナ軍の正確な数は誰も知りませんが、6万人から8万人までが包囲され、軍隊は小さな釜に切り分けられ、破壊または無力化されます。

AARON MATÉ:ゼレンスキー政権が、戦争を回避するための重要な問題について真剣に外交する気がなかったのは明らかです。その主な要因は、今はまだ完全に証明できませんが、裏でアメリカが圧力をかけたと思われます。 しかし、その証拠は後で出てくるかもしれません。また、ウクライナの極右勢力は、ロシアと和解すればゼレンスキーの命を奪うと公然と敵意を示しています。このような脅しは、大統領の任期中そして侵攻の前夜もずっと続いていて、ミンスク協定の実施を掲げてゼレンスキーは当選したわけですが、ミンスク協定の実施はウクライナの破滅につながると、彼の最高の治安当局のような人々が1月下旬に言うことになり、そして、ドイツとフランスによって仲介されたミンスク合意の実施に関する最終交渉に引き継がれました。

2月の会談では、ゼレンスキー政権が突然、反政府勢力の代表との対話すら拒否して、合意が可能になりました。その一方で、ウォールストリート・ジャーナル紙が報じたこのような展開もありました。2月19日にドイツのショルツ首相がゼレンスキーに、「ウクライナはNATOへの加盟を断念し、西側とロシア間の欧州安全保障条約の一部として中立を宣言すべきだ」と述べたと。そして、ショルツが提案したこの協定は、バイデンとプーチンが署名することになっていたが、ゼレンスキーはこれを拒否 ―― 即座に拒否したということです。

しかし、私の質問は、ゼレンスキー・ウクライナ側が外交を妨害したことはかなり決定的だと思うのですが、ロシアはどうなのでしょうか。 ロシアは戦争を回避するために外交的な選択肢をすべて使い切ったと思いますか? 例えば、国連に行ってドンバスに平和維持軍を要請するのはどうでしょう? そして第二に、ドンバスの人々を守ることが目的なら、なぜドンバスのはるか向こうまで侵攻したのでしょうか。

JACQUES BAUD : いや、ロシア人は西側に対する信頼を完全に失っていると思います。 それが最大のポイントだと思います。 彼らはもう西側諸国を信頼していません。だからこそ、交渉で何らかの利益を得るために、軍事面での完全な勝利に頼るのだと思います。

ゼレンスキーは ……そんなに平和を得ることに消極的なのか、正確にはわかりません。 私は、彼にはできないと思います。 最初から、彼は間に……挟まれていたと思います。彼はドンバスの平和を達成するという考えで選ばれたことを忘れないでください。 それが彼の目的であり、大統領としてのプログラムでした。しかし、西側、つまり米国や英国は、この和平を望んでいなかったと思うのです。 もちろん、ドイツとフランスは、ウクライナ側のミンスク協定の保証人でしたが、その機能を実際に実行することはありませんでした。つまり、明らかに彼らは仕事をしたことがありません。特にフランス。同時に安全保障理事会のメンバーです。ミンスク合意も安全保障理事会の決議の一部であったことを思い出してほしいのです。つまり、ミンスクで行われたさまざまな当事者の署名だけでなく、合意の履行を担当した安全保障理事会のメンバーもいて、誰も、この合意を望んでいなかったことを意味します。ということは、ゼレンスキーには、2つの分離共和国の代表者とさえ話をしないように、かなりの圧力がかかっていたのと思います。

その後、ちなみに、ゼレンスキーがウクライナで起きていることを完全に掌握はしていなかったか、あるいは掌握していないことを示すいくつかの兆候が見られました。極端な、たとえば民族主義の極右とでも言ったらいいのか、あらゆるものが混在しているので正確な表現はわかりませんが、これらの勢力が、これまでのところ、彼の行動を妨げていることは間違いありません。そして、彼が平和に関して行ったり来たりしていることもわかります。ゼレンスキーが始めるとすぐに、2月末にゼレンスキーが交渉を始めてもかまわないことを示すとすぐに、この交渉がベラルーシで行われることになったのを覚えているでしょう。ゼレンスキーがそう決めてから数時間後に、EUはウクライナに5億ドルの武器を提供する決定を下したのです。つまり、アメリカは確かに、しかし西側全体として、紛争の政治的解決を阻止するためにあらゆる努力をしたと思います。ロシアはそれを知っています。

私たちはまた、ロシアは西側諸国、特にアメリカに対してどのように戦争を仕掛けるかについて、異なる理解を持っていることも理解する必要があります。欧米では、交渉するにしても、ある時点まで交渉し、その後、交渉が止まり、戦争を始めるという傾向があります。そして戦争、ピリオドです。ロシアのやり方では、それは異なります。 あなたは戦争を始めますが、外交の道を離れることは決してなく、実際には両方の道を進んでいます。 あなたは精神的な圧力をかけ、外交的な手段で目的を達成しようとします。これはまさにクラウゼヴィッツ(プロイセン将軍、軍事理論家)の戦争へのアプローチです。クラウゼヴィッツは、ご存知のように、戦争とは他の手段で政治を継続することだと定義しました。

ロシア側はまさにそれを見ているのです。 だからこそ、攻撃全体を通じて、あるいは攻撃の最初の段階で、彼らは交渉を始めましたし、あるいはその意思を示したのです。ですから、ロシアは確かに交渉を望んでいますが、西側諸国、つまり欧米全体がその交渉を円滑に進めることを信用していません。 それが、彼らが安保理に来なかった理由です*。ちなみに、彼らはおそらくわかっており、もちろんあなたもご存じのように、私たちが今目撃しているこの物理的な戦争は、何年も前にロシアに対して始まったより広範な戦争の一部です。実際、ウクライナはただ …… つまり、誰もウクライナに興味がないと思います。ターゲット、目的、目標はロシアを弱体化させることであり、ロシアが終われば、すでに見えていますが中国にも同じことをするはずです。つまり、今、ウクライナの危機が残りの部分を覆い隠しているのを見てきましたが、たとえば、台湾で非常によく似たシナリオが発生する可能性があります。中国人はそれを知っています。それが、彼らがロシアとの関係をあきらめたくない理由です。

さて、ゲームの名前はロシアの弱体化です。ご存知のように、ランド・コーポレーション(Rand Corporation)はロシアの拡張、ロシアの過剰な拡張などに関するいくつかの研究を行っており、全体のシナリオは...…

AARON MATÉ:よく知らない人のために説明すると、ランドはペンタゴン系のシンクタンクで、2019年、米国が過剰に拡張しロシアのバランスを崩すことができるあらゆる方法を検討する研究を行いました。

JACQUES BAUD : その通りです。 これはロシアを弱体化させるための完全な計画であり、まさに今、私たちが目にしていることだと思います。 私たちはそれを予想することができましたし、プーチンもそれを予想したでしょう。そして、もし2月末、つまり2月24日、あるいはその直前と言ってもいい、その前に決断しなければならなかったからですが、攻勢を決定する前の数日間、彼は何もしないわけにはいかないと理解していたのだと思います。 何かする必要がありました。ロシア世論は、なぜロシアがドンバス共和国がウクライナに侵略され、破壊されるのをただ見ているだけに留まるのか、決して理解できなかったでしょう。誰もそれを理解しませんから、だから、彼は行かざるを得なかったのです。それから...、それこそ2月24日の彼の発言を思い出せば、彼が何をしようが、受ける制裁の額は同じだと言ったのです。 つまり、基本的には、ドンバスに少しでも介入すれば、大規模な制裁が発動されることを彼は知っていたわけですが、そこで、「よし、それなら最大限の選択肢を選ぼう」と決心したのです。1つの選択肢としては、ただ援軍を送り、共和国に干渉せず、接触線上で共和国を防衛するだけでよかった。 しかし、彼はより大きな選択肢、つまりドンバスを脅かす勢力を破壊することにしました。

そこで、2つの目的があります。 非武装化、それはウクライナ全体の非武装化ではありませんが、ドンバスにあった軍事的脅威を抑制すること、それが主な目的です。 彼の発言には多くの誤解があり、もちろん、彼はあまり明確ではありませんでしたが、それはロシアのコミュニケーションや物事の進め方の一部です。彼らは選択肢を広げておきたいので、最低限のことしか言わず、必要なことだけを言うのです。 そして、これがまさに21日にプーチンが言った、ドンバスに対する軍事的脅威の抑制という意味です。 非ナチ化は、ゼレンスキーを殺したり、キエフの指導者を破壊したりすることとは何の関係もないのです。 先ほども言ったように、彼らの戦争の考え方は、物理的な行動と、外交的な行動の組み合わせが主なものです。 つまり、そのようなやり方においては指導者を維持しなければならず、交渉のために彼らを維持しなければなりませんから、キエフの指導者を殺したり、破壊したりすることはあり得ないのです。

ですから、非ナチ化は基本的にキエフの極右の2.5%の人たちについてではありません。 マリウポルとハリコフのアゾフの人々の100%についてです。だから、こう言う人たちがいて私たちは誤解しがちです。「いや、でも、なんで非ナチ化なんだ? だって、右翼なんて2.5%しかいないんだから、2.5%かそこらなのだから、そんなの意味がない。 なのに、なんで非ナチ化なんだ? ナンセンスだ」。しかし、それはそういうことについてではないのです。 それは間違いなく、2014年からウクライナ人によって、言ってみれば、鎮静化または支配するために集められたグループに関するものでした。正確な表現はわかりませんが、ドンバスで戦うためです。 これらの人々は過激派、狂信者であり、危険な人々でした。

AARON MATÉ:ウクライナが極右の民兵や外国の傭兵を必要とした理由のひとつは、自国の軍隊内での離反率が高く、兵役に就きたがらない人や、ドンバスでの反乱の反対側に亡命する人さえいたからだ、ということを、私は知りませんでしたが、あなたは記事の中で指摘されています。

JACQUES BAUD : そうです。 先ほどお話したように、私はNATOにいて、ドンバスへの武器の流入を監視していたのですが、そこで気づいたのは、ロシア側からドンバスへの武器の輸入や輸出を確認したことがなかったということです。そして2014年に、ドンバスが獲得したほとんどの重砲の類は離反者からのものでした。部隊全体が弾薬や人などを持って離反したためです。 これは、ウクライナ軍が領土的な方法に基づいていて...…領土的な方法で人員や組織を構成していたことによります。つまり、軍隊の中にはロシア語を話す人がたくさんいたのです。 彼らがドンバスで戦うことになると、自分たちの同僚やロシア語を話す人たちと戦うことは望んでいなかったので、彼らは脱走するようになったのです。

そして、2014年にあったことに加え、2014年から2017年にかけて、その期間のウクライナ軍のリーダーシップは非常に貧弱でした。たくさんの腐敗がありました。実際、当時反政府勢力が戦った戦争は、今日またはここ数年の中東で見られるものと非常に似ていたので、軍隊がそのような種類の戦争に備えていたかどうかはわかりません。そして、非常に機動力のあるユニットが、非常に機敏に動き回ることになり、ウクライナ軍が持っていた重いユニットよりもはるかに速くなりました。その結果、2014年、2015年に行われたさまざまな戦いのパターンを見れば、ウクライナ人が決してリードすることができなかったことがわかるでしょう。彼らは決して主導権を握っていませんでした。イニシアチブは常に反政府勢力によるものでした。そしてそれはゲリラではありませんでした。これを言うことは重要です。それは一種の極端な機動戦でした。それに加えて、軍隊は全般に戦う準備ができていなかったと思います。それで、たくさんの自殺がありました。あなたはたくさんのアルコール問題を抱えていました。たくさんの事故がありました。ウクライナ軍の中でたくさんの殺人ありました。

軍隊に加わりたくなかったので、多くの若いウクライナ人が国を去ることにつながりました。で、何が言いたいかというと、つまり、イギリスやアメリカの公式報道で記録され、報告されたんだと思います。人々が単に軍隊に加わりたくなかったから個人の採用率が低いということについて、彼らは、いくつかの非常に興味深い報告をしました。そのためにNATOが関与し、私もそうしたプログラムに参加して、軍隊のイメージを一新し、軍隊の採用状況を改善するための解決策を見出そうとしたわけです。

しかし、NATOが提供した解決策は、実際には時間がかかる制度的解決策であり、人員不足を補い、おそらくより攻撃的な軍人を配置するために、実際のところ、彼らは国際主義者や傭兵を使い始めました。これらの準軍組織または極右の民兵の数を正確に知る人は、誰もいません。ロイターはこの数字を10万人としています。それを確認することはできませんが、これはロイターからの数字でした。ですが、それは、国のもろもろの地域で現在観察できることに合致しているようです。これらの準軍事組織は、移動戦ではなく、また、通常の野外戦でもなく、主要な役割を担っていたのです。彼らは都市内の秩序を維持するために使われたのです。
それはまさに今日マリウポリにいるものです。なぜなら、彼らは野外活動のための装備を持っていないからです。 彼らは市街戦用の装備しか持っていません。 軽装備で、装甲車もありますが、戦車のようなものは持っていません。

ですから、これは間違いなく市街戦を想定した部隊なんです。 大都市でやるのはそういうことです。 彼らは非常に狂信的であり、非常に危険です。 それは、一例として、マリウポリの戦闘や、マリウポリでの非常に残忍な戦いを説明するものです。おそらく私たちはハリコフでも同じことを見るでしょう。

AARON MATÉ:最後に、最近報道された残虐行為についてお聞きしたいと思います。 ブチャの町ではロシアが民間人を大量に殺害し、ウクライナ軍も殺害されたと報告されていますし、クラマトルスクでは駅が襲撃されました。 あなたはこの2つの事件を評価し、どのように受け止めているのでしょうか。

JACQUES BAUD : そうですね、その中には2つのことがあります。第一に、両方の事件について私たちが持っている兆候は、ロシア人がその責任を負わなかったことを示しているということです。しかし、実際私たちはわかりません。これは言わなければならないと思います。つまり、正直なところ、私たちは何が起こったのか知りません。私たちが持っている兆候、すべて、私たちが持っているすべての要素は、ウクライナの責任を指摘する方向にあります。でも私たちは知りません。

私がこの件で気になるのは、わからないということよりも、戦争では常にそのような状況があり、誰が本当に責任を負っているのか正確にわからない状況が常にあるからですが、気になるのは、西側諸国の指導者たちが何が起きているのか、何が起こったのかを知らずに、決定を下し始めたことです。そのことが私は深く気にかかっています。どんな種類の調査や捜査の結果も出ないうちに、国際的で公平な調査という意味ですが、それをせずに、すでに制裁を加え、決断を下し始めています。このことが、欧米の意思決定プロセス全体がいかに変質しているかを物語っているように思うのです。実は2月かあるいはそれ以前から、ハイジャック事件(ちなみにハイジャックではないのですが、ベラルーシのライアンエアー便の事件)の後にも、同じようなことがありましたから。昨年の5月、何が起こっているのかわからないというのに事件がマスコミに報道されてからわずか数分で人々が反応し始めたことを覚えているかもしれません。 これは、ヨーロッパ、EUだけでなく、ヨーロッパの国々の政治的リーダーシップから、この方法が取られているのです。それは、情報将校としての私を悩ませるものです。 国民や国全体に影響を与え、自国の経済さえも混乱させるような決定を、どうして下すことができるのでしょうか? それは裏目に出がちです。 しかし、私たちは何が起こっているのか知りもしないで決断しています。これは、西側諸国全般において、リーダーシップが極めて未熟であることを示していると私は思います。それは確かに米国の場合ですが、ウクライナ危機のこの例は、ヨーロッパのリーダーシップが米国でのリーダーシップより優れているわけではないことを示していると思います。たぶん時にはもっと悪いこともあるでしょう。私たちが心配すべきことはこれです。何もないことに基づいて決定する人々がいること、これは非常に危険です。

AARON MATÉ:ジャック・ボーは、スイス戦略情報局の元情報将校であり、NATO、国連、およびスイス軍で多くの安全保障やアドバイザリーの要職を歴任しました。 ジャック、あなたの時間と洞察に感謝します。

JACQUES BAUD : こちらこそありがとうございました。


(*訳者注 「それが、彼らが安保理に来なかった理由です*」
文法上また文脈上「彼ら」とはRussiansととるのがの自然であるが、2月17日から4月11日までに開催された国連安全保障理事会において、ロシアが欠席した会議を訳者は確認できなかった。
リンクを設けた箇所について。
ここに2014年8月以前の日時不明の安全保障理事会における英国の発言があり、ドンバスに武器を供給しているのはロシアであるから、ウクライナ東部の人道支援を要請する緊急会議をロシアが呼びかける立場にないと主張した。この会議を米国は欠席した。OSCEが調査に基づく甚大な被害状況を報告したが、ウクライナ政府は否定し人道支援を拒絶した。)






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