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人の能力の土台にあるもの

今日、久しぶりに予定のない1日。疲れが溜まっていて、さっきまでずっとぼーっとしていた。

疲れの原因は、日々忙しかったことに加えて、ちょっと前に以前の職場の人たちと話したことだった。自分の居場所はもうそこにはないなと実感しすぎるので、「歓送迎会」の類の会は好きではない。望んで異動したわけでもないから、やっと落ち着いた気持ちが再びざわつくのが、煩わしかった。少し休んだことで、また気力が回復してきたけれど。
自分の存在を否定されたと感じるような状況は、どんどん自分への信頼を破壊していってしまう。人は成長していく過程で、人として身につけるべきものを会得しつつ、自分を否定されないような場所を見つけていくことが、生きていくために大切なことなのだろうと思う。

さて、以前に何度か書いたことがあるが私の頭の中にはいろんな情報がごちゃごちゃとあって、すっきりとしていない。そして、認知の力や記憶の力が、高2の頃から急激に低下した。その状態のまま就職して、仕事のスピードについていけなくなった。無理をして、体の調子を崩したり、眠れなくなったりしてしまった。ついには同僚に面と向かって「迷惑だ」と言われてしまうほどだった(本当に面と向かって顔を見て言われた。その行為自体は褒められたものではないと思うが)。

驚くことに、ここ数年で少しずつ認知能力や記憶力が回復している。ここ15年くらいに築いた人間関係の中で実感した安心感によるものだと私は確信している。

優れた才能を発揮する人が世の中にはたくさんいる。どの人も恵まれた環境だとは限らないけど、「安心感」「人への信頼の有無」は、力を発揮するために必要な要素として重要なものだと私は感じる。かつて同僚に「迷惑だ」と言われた時、この状況をなんとかしなければという焦りの気持ちが増す一方で、どうにかするための気力もあんまり残っていなかった。自分ならできる、だなんて思ったこと、もう何年もなかったのだ。

「迷惑だ」と言った同僚は、家庭環境や才能に恵まれていて、困っている人の気持ちがわからない人だったのかもしれない。恵まれている状況に感謝できない人は、知らず知らずのうちに、いろんなものを傷つけてしまうのかもしれない。あるいは、奢りの気持ちもあるだろう。自分に才能があるから、この結果がある。自分は努力できるから、結果を出す。あの人はできない、しようとしないのだ、と。こういうのって、行き過ぎた個人主義の成れの果てなんだろう。

人の力は、その人だけのものではない。多くの繋がりのなかで それぞれの生がある。

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