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「次」へと進みたい

 自分にとって大切なものって何だろうなということを、久しぶりに、改めて考えてみた。
 安心感だとか、数字信仰から下りるとか言ってるけど、安心感なんて実感したことがなく、点数とかの数字や、勤務先とかで自分の価値を決める生き方をずっとしてきたら、それから離れるのって、何だか敗北宣言をするような気持ちになったりするのだ。身内も、職場で他の人たちより早く昇進していった人が多くて、私が就職した時も「早く昇進することを考えて仕事しなさい」と言われ、なんと友人の中にも「あなたは早く出世しないと」という人がいるのだ。
 こう考えると、自分がそういうところから離れようとしているのを「逃げ」だと自他ともに感じる状況になるのは不思議ではない。で、昇進のためにもっと献身的に働くという方に突き進むのが楽なのかもしれない。

 が。そういう人たちのほとんど(私の周囲の人については)が、配偶者との関係を悪化させたり、退職後に居場所がなかったりしているのを見てしまうと、人生は働くことだけど、昇進を目指すことではないよなと感じてしまうのだった。少なくとも私にとっては。
 かといって、家族だけのために生きるというとそれは違うけど。仕事以外の人間のつながりをどれだけ持てるか、ということも大事なんだろうなあ。素敵な気づきをもたらしてくれるのは、高校時代の同級生や近所の人との会話の中での、誰かのつぶやきだったりする。

 知人の中にも、職場以外の、地域の中でのつながりを大切にしている人が以前より多くなってきた。ちょっと前の感染症対策は、この辺の繋がりを断とうとする側面があったな、と思う。地域の祭りとか趣味の集まりとか。んなもんリモートでできるかよ、みたいなものをオンライン上で行うことを推奨していたなと思う。

 業績を上げるための集まりじゃなく、暮らしの中で生まれる雑談が、今の私には欠けているんだろう。子どもたちが、そういうやりとり(近所での井戸端会議みたいな)を知らないままネット上での誹謗中傷とかに心を奪われるようになるとしたら、なんと恐ろしい事態だろうと思う。

 数字や結果を追う人の鬼気迫るテンションには、やっぱり、正直飽き飽きしている。結果を出しても、それで終わることはなくて、ずっと結果を出し続けることを要求されるのだ。ずっと、無理に頑張り続けることなんて、私にはできそうにない。

 何話してるの?って改めて聞かれると、よくわからないけど、いろんな人と雑談しながら、日々手作業しているような、そんな生き方を、実はしたかったのかもしれない。ネット上の雑談ではなく、対面での雑談。で、元気になったり元気づけたり。こういうのって、「次」ではなく、かつてあったものとも言えるのかもしれないけど。うまく言えないけど、個々の人や個々の組織が勝ち負けを競う生き方を国全体で続けていたら、気づかないうちに、人のコミュニティといえるものの、核の部分を壊されてしまっているんだろう。

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