お前はもう死んでいる⁉
この年末に閣議決定される見込みの「こども大綱」の策定に向けて、こども・若者に関する施策の基本方針に関して議論をしている「こども家庭審議会」の基本政策部会は、今月15日に第9回の会合を開き、意見の中間整理案の修正について検討をした。
このうち教育分野に関しては、ライフステージ別の重要事項の「学童期・思春期」に項目が設けられていた「こどもが安心して過ごし学ぶことのできる質の高い公教育の再生等」について、「再生」ではなく「公正」という言葉を入れる方向で調整されることとなった。
『教育新聞』(2023年9月15日付)によれば、委員から次のような意見が出されたことが見直しの理由だという。
学校教育が「再生」という言葉と結びついて語られるようになったのは、2006年10月に「教育再生会議」が設置されたことがきっかけだろう。同会議によって、いわゆる「ゆとり教育」の見直し、道徳の教科化、大学・大学院改革、教員免許更新制などが提言され、矢継ぎ早に実行されていった。
この「教育再生会議」が設置された当時、私は公立小学校の教員を務めていた。同会議で検討された内容の是非はともかくとして、まずはそのネーミングに対して強烈な違和感を覚えたものだ。そして、こう思った。
「再生」って、「お前はもう死んでいる」ってことでしょう?
たしかに、今の学校教育にはいろんな課題があるけれど、
それでも、まだ死んだ覚えはないんだけどな~。
あれから17年。
当時はここまで「教員不足」「教員離れ」の問題が深刻になり、全国各地の学校で欠員が常態化することなどは予測できなかった。
学校現場で奮闘している教師たちを慮ってか、「再生」という言葉を使用することに異を唱えてくださった委員の先生方には心から感謝をしたい。
しかし、今の学校教育に「再生」という言葉を用いることについては、残念ながら認めざるを得ないような気もするのだ。
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