私が本書のことを知ったきっかけは、今から1年以上前の『内外教育』に掲載された、浅田和伸氏(当時は国立教育政策研究所長。現在は長崎県立大学長)による「まだかみ合わないよ、岡本さん」というタイトルの巻頭言を読んだことだった。その文章の冒頭から後半にかけて、次のような記述がある。
本書では、岡本氏が『学校運営研究』(明治図書)に連載した35編の文章が、7編ずつ5つの章に分けられている。その各章のタイトルと要約文を読むだけでも、著者の主張がある程度は伝わるだろう。
たとえば今、各自治体の教員採用試験では志願倍率の低下が続き、度重なる制度改正が行われているが、その「迷走」の理由は「Ⅰ なぜ議論の『すれ違い』が起こるのか?」の要約文によって説明ができてしまうだろう。
岡本氏による切れ味の鋭い文章は、教育に対する「傍観者」として読む分には痛快である。だが、かつて地方教育行政に関わっていた「当事者」としての自分自身にとっては、耳の痛い指摘ばかりである。
・・・岡本氏のこうした「ものの見方・考え方」は、いったいどのように形成されたのだろうか。本書を読むと、2つの経験が大きな影響を与えたのではないかと思われる。
1つ目は、氏の官僚時代の経験である。岡本氏はそのキャリアの中で、フランスにあるOECD(経済協力開発機構)での勤務を2回にわたって経験している。その中で岡本氏は、各加盟国の代表者たちと議論をするなかで、日本の学校の「当たり前」が諸外国ではそうではないという場面に何度も遭遇する。たとえば、こんな場面だ。
こうした経験が、日本の教育を客観的かつ批判的に見つめることにつながったことは間違いないだろう。
2つ目は、岡本氏自身の家族史に起因するのではないかと思われる。岡本氏の母方の祖父は、蚕糸試験場でカイコの人工孵化の研究をしていた人物だったが、軍需部門への転属を拒否したためか40歳を過ぎてから突然に徴兵され、有名な「インパール作戦」の最中に戦死しているのだ。
その後、祖父が命を落とした「インパール作戦とは何だったのか?」について調べた岡本氏は、愕然とすることになる。
祖父を失った一家のその後の生活は辛酸なものだったという。それを考えると、岡本氏の刃は教育問題だけではなく、政治を含めた「日本というシステム」全体に向けられていると言っても間違いではないだろう。
・・・ちなみに、冒頭で紹介をした浅田氏の文章は、次のように結ばれている。
そうなのだ。「かみ合わない」と不満を述べる暇があるのならば、まずは身近なところからでもこの状況を変えていくために行動をする必要があるのだ。今を生きる当事者として。