「割れ窓理論」
「割れ窓理論」というものがある。
空きビルの窓ガラスが1枚割られた状態をそのまま放置していると、さらに割られる窓ガラスが増え、やがては街全体が荒廃してしまうという、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング博士が提唱した理論である。
かつて、犯罪が多発していた米国ニューヨーク市では、1994年以降、当時のジュリアーニ市長がこの「割れ窓理論」を実践した。割れ窓の修理や落書きなどの軽微な犯罪の取締りを徹底的に行った結果、凶悪なものも含めて犯罪が大幅に減少したと言われている。
日本の学校の児童生徒指導でも、
「学校内のささいな『荒れ』を見過ごしていると、遠からず『学級崩壊』などにつながる」
という意味で、この「割れ窓理論」のことが持ち出されることがある。
たとえば小学校の場合だと、次のような「割れ窓」が思い浮かぶ。
・・・まだまだあるが、今日はこのくらいにしておこう。
無論、個々の児童の事情などにより、「荒れ」とは呼べない場合もあるだろう。しかし、この中で複数の項目が当てはまっているようであれば、「学級崩壊」の兆候だと思ったほうがよいと思う。
教師の中には、
「私は子どもたちの主体性を尊重しているので、いちいち細かいことを注意したりしません」
と言って、こうした「荒れ」を放置する人がいる。
しかし、こういう教師が担当するクラスで、子どもたちが主体的に活動する姿というものを、未だかつて私は目にしたことがない。
こういうタイプの教師は、子どもたちの主体性を尊重しているわけではなくて、子どもたちと真剣に向き合うことを避けているだけなのだ。
「一定の規律」と「子どもの主体性」は、けっしてトレードオフの関係にあるわけではなく両立するのである。
・・・ついでに言うと、こういう教師をそのままにしておくと、他の教師に伝染して「職員室崩壊」になるリスクがある。当該の教師自身が「割れ窓」になっているのだ。
職員室の中で自浄作用がはたらかないのであれば、管理職がなんとかするしかない。
「私は職員の主体性を尊重しているので、いちいち細かいことを注意したりしません」
などと言っている場合ではないのである。
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