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デラックスな教育

 先日の『超無敵クラス』というテレビ番組で、若い男女2人のレポーターが文部科学省を訪問していた。
 そのなかで、「教育DX」という表示を見つけた女性レポーターが、
「教育デラックス?!」
 と叫んだところ、案内をしていた文科省の職員から、
「教育ディーエックスです」
 と、即座に訂正されていた。

 しかし、このレポーターを責めることはできない。
 DXといえば「デラックス」の略というのが一般的なのだから。

 しかも、Dが「デジタル」の略というのは仕方がないとしても、Xが「トランスフォーメーション」を表すというのは反則だろう。
「transという接頭語が、xで代用されるからですよ」
 と説明されたところで、そんなのは知ったこっちゃないのである。

 ちなみに、文部科学省のWebページに掲載されている「教育DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進について」には、次のような説明がある。

教育DXの推進においては、
1 教育データの意味や定義を揃える「標準化」(ルール)
2 基盤的ツール(MEXCBT、EduSurvey)の整備(ツール)
3 教育データの分析・利活用の推進や、教育データ利活用にあたり自治体等が留意すべき点の整理(利活用)
の三本柱で取組を進めています。

 残念ながら、一部の「意識高い系」の方や専門性のある方はともかく、この内容が一般の教職員に理解されるとはとても思えない。
 多くの教員は、ようやく「GIGAスクール構想」の「1人1台端末」の活用に慣れはじめたところなのだから。
 そこへもってきて、
「お次は『教育DX』ですよ」
 というのは、あまりにも酷ではないだろうか。

 今の段階では、
「どうやら次は『デラックスな教育』が始まるらしい」
 という程度の理解で十分ではないかと思うのだが、それではダメなのだろうか。

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