見出し画像

おばあちゃんと日本画と私

祖母が30年弱にわたり、趣味で描いていた日本画のお話。

私が中学生から陸上部に入って、高校生で陸上にさらに打ち込んでいた時、祖母も同じくらいの熱量で日本画に打ち込んでいたことを最近知った。今年の夏で、祖母が天国に旅立って3年が経つ。

おばあちゃんが、バリバリ絵を描いていた時は、おばあちゃんが老後の趣味で描いていると思っていた。おばあちゃんの家へ行くと、行くたびに絵が増えていて、「おばあちゃんたくさん絵を描いているな」と思っていた。ただ、その頃は、まだ中高生の10代でそれ以上深く考えることも、深く聞くこともなかった気がする。私たちがおばあちゃんの家に帰った時は、絵を描いている暇もなく私たちをもてなしてくれているので、絵を描く姿を見たことがない。

おばあちゃんがどんな風に絵を描いていたのか知ることになったのは、2023年度末が近づくある日、日本画家・諸星美喜さんとの出会いだ。

諸星美喜先生と、福知山市にて

私は昨年より、おばあちゃんの家がある福知山市で、アクティブシティ推進アドバイザーをさせていただいている。私はおばあちゃんの家の近くの病院で生まれた。福知山市で活動することが増えたこともあり、気心の知れた福知山市の市民ランナーさんに、何気なくおばあちゃんの話をしたら、なんと日本画家の先生を紹介してくださることになった。

家族会議では、おばあちゃんが描いた趣味の絵をこの先どうしていけばいいのか。おばあちゃんが日々頑張って描いていた絵で、私が中学生の時に個展をした時も、絶対売らないと言っていた絵だ。プロの画家に見ていただけるだけで、とても光栄なことで、先生に相談できることが大変ありがたかった。

おばあちゃんの絵は、おばあちゃんの家に、おばあちゃんが自分で飾ったまんま、そのまま置いていた。

先生は、私たちの想像を超えるコメントをくださった。表面的な言葉ではなかった。おばあちゃんの人柄や人格が見えると言って下さった。
私と家族も、「そうそう、こんな一面があって…」と会話する。先生は、おばあちゃんに会ったことがないのに、先生は絵を通しておばあちゃんを感じて、私たちと会話をしていた。不思議な時間だった。そして、先生を通して、おばあちゃんの知らない事をたくさん知ることができた。

先生からおばあちゃんがどんな風に絵を描いていたか見たいとリクエストいただき、アトリエ(家の2階のもともとは、裁縫をするスペース)に移動した。アトリエからも、先生は、おばあちゃんがどうやって絵を描いていたか、どのように道具を使っていたかがわかる、とおっしゃった。そんな風に、見たことがなかった作業場。

祖母のアトリエ🎨

そうか、ここがアトリエなんだ。そんな風に思ったことがなく、ハッとした。先生はおばあちゃんのことを1人の画家として話してくれているように感じられて、大変嬉しかった。そして、「おばあさま、とてもしっかり描いてらっしゃる。最初は、趣味だったかも知れないけど、どこからか絵が変わったと思います。もう、これは(賞をとった絵をさして)アマチュアというより、プロの気持ちで描いてる」と言ってくれた。

私も、走ることを仕事としていた期間があるので、「プロの気持ちで描いてる」という言葉が刺さった。そして、おばあちゃんとの会話を思い出した。

「おばあちゃんも絵を頑張るから、あんたもマラソン頑張りや」

おばあちゃんは、私が走ることと同じ熱量で描いてたんだと思うと、全然あの当時は、おばあちゃんのことをわかってなかったなと思った。何も分からずに、「うん、ありがとう」と返事をしていた。
しかし、後悔の気持ちではなくて、その事を知る事ができた事が嬉しく、胸がいっぱいになった。

初めは、おばあちゃんの絵をどうしたらいいのかと言う悩みだったけど、おばあちゃんがどんな気持ちで絵を描いていたのか、おばあちゃんにとって絵は何だったのか、おばあちゃんの絵に対する気持ちに日本画家の先生を通して、少しでも触れられたことに、大きな感謝の気持ちと、嬉しい気持ちと、切ない気持ちと、入り混じった。
今は、整理し切れてない気持ちもあるけど、おばあちゃんが最後の30年に趣味の域を超えて、打ち込んで、おばあちゃんの表現したいことをとことん突き詰めていった日本画。その思いが、きっと日本画家の諸星美喜先生との出会いも引き寄せたのかなと思う。

おばあちゃんの最後に個展をしたいという願いは叶わなかったけど、おばあちゃんの描いた絵が、日本画家の先生や、先生の教え子さん、学生さんたちの目に触れることは、おばあちゃんの個展をしたいという願いが、違う形で叶っているんじゃないかなと思う。

おばあちゃんは、65歳から絵を始めて、90歳過ぎまで打ち込んだ。先生がアトリエで見つけてくれた、おばあちゃんが特に大切にしていた筆。特に保存状態が良くて、これはここぞという時に使っていた筆だと教えてくれた。その筆を仏壇にそえておいたので、これからは少し肩の力を抜いて、絵を描いて欲しいな。

おばあちゃんの絵を見て、おばあちゃんは、どんな気持ちで絵を描いたかを想像することは、おばあちゃんとの会話になるのかも知れない。そんなことを教えてくれた、先生との出会いは、間違いなく一生忘れることはない。

・・・・・・・・・・

福知山市という生まれた土地での活動が増えたこと自体が、おばあちゃんが最後の個展をするための作戦だったのかも知れない!!
おばあちゃんは、相当個展の実現には、思いが強かったんだね。恐るべし!おばあちゃん👵

#おばあちゃん

おばあちゃんに関する過去のnoteもご一緒に😌

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。共感していただいだり、楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m