百万石茶会

 百万石茶会とは百万石祭り当日に開かれる大寄せの茶会である。兼六園近辺で各流派の茶席が設けられる。私が向かう場所は、兼六園の、時雨亭。兼六園真弓坂口から坂道を上り、左手に瓢池(ひさごいけ)を眺めながら坂上まで行くと左前方に見えてくる。
 六月初旬、暑くもなく、少し曇りがかった、過ごしやすい日。

 入口では袴をはいた若い男性が出迎えてくれる。
 案内された待合では三方を明け渡した待合の座敷を涼風が通り、顔に心地よい。時々、鳥の声が聞こえる。灯籠の近くの松が見事な枝振り。鮮やかな木々の緑に目が洗われるようだ。
 三十名程の参加者の中で、十一名の人が着物を着ている。私は行きずりの人なので、着物ではなく、スーツで。 

 中庭の方向から、瓢池に落ちる小さな滝が見える。その手前には、手水鉢(ちょうずばち)があり、関守石(せきもりいし)も見える。庭をぐるりと見渡すと、灯篭や躑躅(つつじ)の生垣、その周りに咲いている草花。辺りの緑に白い杜若(かきつばた)が映え、深紅とビンクの牡丹や躑躅の花が、初夏の光の中で彩りを添えている。ちらほらと観光客も通る。

 空が晴れていて気候が穏やかという意味なのか、世の中がよく治まっていて穏やかという意味なのか「清和」の文字の掛け軸、初夏の花々も竹籠に盛られ、風情がある。

 やがて本席に入り、席に着き、亭主が挨拶に来る。「今日は、暑くもなく、曇り空のちょうど凌ぎやすいお天気で、よかったと思います。少し、冷房も、今日は入っているんですが、この部屋は、特に照明を付けておりませんで、自然の採光ですが、ちょうどよいくらいの明るさのようです。夕暮れになってきますと、少し暗くなってきますが…」と続き、待合や本席の掛け軸やお道具についての話も一通りあった。

 兼六園の中心にある霞が池は天保年間に掘られたもので、池の中にある島を蓬莱島と呼び、不老長寿を表すのだそうだ。別名、亀甲島(きっこうじま)とも呼ぶらしい。
 最近は日程を前倒しにして早く百万石祭りを行うようになったので、お陰で六月でも雨にも降られないということだった。

 棗(なつめ)と蓋置き、お菓子、これらは前田家の家紋である梅をテーマにしている。瓢をテーマにしている棚と煙草盆、そして瓢池と三つが揃い、駒をテーマにした香合(こうごう)、お盆、風炉先(ふろさき)が三つ、とどれも三つずつ揃っている。三つ、揃うということは目出度いことなのだそうだ。

 横座りをしたので、少し窮屈だった。末席近くに若いカップルが座っていた。女性はベージュの紬を着てすっきり髪を結いあげた様子が美しく、人目を引いていた。男性は女性と合わせたのかベージュの三つ揃いのスーツを着ていた。二人連れで茶会にやって来るなんて仲がいいんだな、とほほえましく感じる。

 床の間には、「本来無一物」の掛け軸、これは天徳院の二十九代門主が書かれたものである。禅語で、本来執着すべき一物も何もない、一切、空であり無であることを意味するようだ。
 お花は、椿が一輪、花瓶を象った竹籠に入っていた。
 「尾山祭り」というご銘の、桃の型が周りに型押しされた桃色のお菓子を楊子で口に運ぶと、ほどほどに塩味もきき、おいしいお菓子だった。「尾山祭り」という言い方は戦後、百万石祭りのルーツが尾山神社の奉祝行事であった。そしてその後しばらく尾山神社奉賛会によって開催されていたからだろう。
 
 瓢池の滝の水音を聞き、微風を感じながら、贅沢な時間が流れている気がする。
 
 異空間のゆったりとした時は、あっという間に流れ、解散したあと、メモを見てみたが、所々抜け落ちているところがある。思い出そうとしても年々記憶が弱まる傾向は顕著で、さっきまで覚えていた言葉がさっぱり出ては来ない。
 後で日記にでも今日のことを書いておこう、と思ったのだったが茶会記がないので、もう一度失礼ながら、亭主が話したことを銘などを含めて受付の方に確認してみる。 
 
 そうすると、受付の方は亭主の奥様を呼んで来られて、わざわざ出て来られた奥様がわからないところを答えてくださった。 
 丁寧に教えて下さったことに、お礼を言うと、「いえいえ、せっかく、いらしたのだから、勉強熱心ね」と快い優しい笑顔を返してくださった。
 百万石祭りの賑やかで華やかなパレードの片隅で、こういう静かで落ち着いた時間を過ごすのもいいな、と思いながら家路をたどった。

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