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婚活事情ー佳織の場合

 今日の夕方の予定はというと、ブライダル会社の企画したお見合いパーティが入っている。全国ネットで展開するこの会社は、様々な形での出会いを提供していて、中でもパーティ形式が一番気軽に思われた。 
 父や母も亡くなり身辺が寂しい佳織は、先々心の支えになる人を見つけられたら、と思って一度は試しに参加することを決めていた。来月になれば五十三歳の誕生日が来るので、一つでも若いうちに出ておきたい。パーティ会場へ急ぐ。 

 雪道を地図を片手にやっと、高岡にあるホテル会場にたどり着いた。
 会場には、男性は七人、女性も七人、揃っていた。この後テーブルを替え、いろんな人と何度か話をし、中間投票で相手を絞り込み、最終投票で相手を決める流れとなる。

 そして個人、個人が紹介カードを書くのを見ると、男性はほとんどが四十代で、三十代の者もいる。男性参加者は三十八歳から五十八歳までの年齢枠だから、そうなるだろう。女性も同じくらいの年齢枠だ。無駄足だった気がしたがその中に一人、五十代の男性がいた。 

 その男性は、目が鋭い感じで好きになれなかったが、中間投票でも最後の場面でも佳織の名前を書いてきた。佳織も二名の男性の名前を書く最終投階では、枠を埋めなければいけないのかとその人の名前と番号を書いた。自分の電話番号を書く欄もあったので書いた。 
 お互いに名前が合ったので、お茶に誘われるままその男性と下の茶店に入った。
 
 ときどき来る店らしく、
「ここの喫茶店は、落ち着いた感じで気に入っているんですよ」
 と男性は、佳織にコーヒーを勧めながら「こういうところの出会いなんて、どうせ大したことないと思ってたけど、出会えた。今日いた他の女性は、どうもピンとこなかったけど」興奮ぎみの調子で言った。離婚経験者らしい。大型電気店の雇われ店長をしていて、片山と言った。

「仕事が忙しくてねえ、子どもはいないし、すれ違いばかりになってしまった」とつぶやく。
「こういうパーティは高いですねえ、特に男性の分は高い、男性ばかり。じゃ、早速、また、会えませんかねえ、来週末はどうですか」
「ごめんなさい、来週末は甥の結婚式で、東京まで行って来なくちゃいけないんです」
「それは残念。じゃ、別の日に。お住まいはどちら? 金沢市の何町ですか?」
 答えないでいると、「ご家族は何人ですか?」続けて聞いてくる。
「えーと、母もなく、私一人ですけど」
 あまり言いたくないが、佳織は答えた。
「おうちに一人なんですか?」
「はい」
「私も最近、父が亡くなりましてねえ。身辺が寂しくなってきました。母は以前に亡くなっていますし。やはり、一人は寂しいですねえ」
「ええ。肉親て有り難いもんですよねえ。いなくなって、わたしもつくづく思います。いてくれるだけでいいんですよね」
 
 父、母が亡くなって寂しいという話題に佳織もそこで合わせたが、目つきが冷たい感じで、どうも雰囲気が好きになれないので、話をしていて楽しいという気持ちにならなかった。 
 二、三日経って、佳織は考えた末、『考えましたが、やはりお付き合いはできなくなりました』と、メールを送った。面と向かってそういう訳にもいかないし、結果、そうなってしまった。 

 すると、相手からは
『急にどうされましたか。何か、理由でもおありでしょうか』
とメールが返って来た。それに対して
『考えたのですが、申し訳ありませんでした』
 と返信した。その後二、三時間して、また相手からメールが来た。驚くことに、今度の文面は
『バカヤロウ、ババアのくせにうそつくナ!』
だった。そして、その後、
『ババア、いい気になるナ、ババア!』
 
 続け様、五通もメールが届いた。やっぱり、自分がなんとなく好きになれなかった予感は当たっていたのだ。しかも、自分より一つ歳下だけの癖にババアとは!

 相手は、高岡市に住んでいるということで、距離的にも遠くはない。まるで、今すぐにも自分が襲われる恐怖を感じて、その夜は怖くて寝付けなかった。次の日も、同じメールや非通知電話が相次いだ。片山の異常な行動に、(お母さん、助けて)佳織は心の中で叫んでいた。
 
 相手が納得してないかもしれないと考えて、
『よく考えた上です。一方的に人をののしるのは止めて下さい』
 と返信した後、これからもうっかり出ると怖いので、携帯電話の支店に飛び込んだ。非通知電話の着信拒否の仕方を教わった。
 

 佳織は、今一人暮らし。唯一の肉親である弟は、遠く離れて東京に所帯をもっているし、同居していた母は二年前に亡くなった。
 
 弟が中学二年、佳織が高校一年のときに父は亡くなって、その後、母が女手で二人の子どもを育てあげた。夜間大学を卒業した弟が故郷へ帰っては来ないで内定していた東京の会社に就職した後、佳織はずっと母と二人で暮らしてきた。弟は結局、東京で入り婿になって結婚までしてしまったので、必然的に佳織が家を護ることになった。
 
 年頃になり、家に入ってくれる婿をもらいたかったが、なかなか条件の合う相手が見つからなかった。良いと思う相手は姑と同居して欲しいという条件だったり、赴任先が遠くだったり。婿に来てくれるという相手は自分が気に入らなかったりした。なかなか婿の来てが見つからないまま年頃は過ぎて、母と平穏な日々は長く続いた。 

 五十二歳になって母が亡くなったとき、ああ、これで私も嫁に行ける立場になった、と思ったが気が付いたら五十二、もう、結婚という歳でもない、と思った。
 
 今は、学生時代から続けている日本画が一番の生き甲斐である。勤め先の大学の事務局が休みの日は絵を描くことに専念する。公募団体展で受賞し、新聞社の賞も一度、貰ったことがある。 

 日本画は自分に合っていて、高校時代はわざわざ美大生(金沢美術工芸大学生)に習いに通っていたくらいだった。思うようなものを描くのは難しいが、絵を描くことは自分自身そのものだと思う。 
 とはいえ、夫も家族もなく、賞を取っても共に喜んでくれる者もない今は、絵を描くことも何のためかという、虚しい気持ちになることもある。人並みに結婚して妻となり母となる日を普通に思い描いていたのに、別に独身を貫くつもりもなかったのに、こんなはずではなかった、と思う。

 夫や子どもがいないことは寂しいし、女として一通りの人生を味合わなかったことは人生の醍醐味というか、人間として何か大切なものが抜け落ちているのではないかという気がするのだ。
 
 小学校からの親友、金森景子と電話で話をしたときもこの話題になり、「なかなか人生、うまくいかんわ」とこぼした。景子は既に社会人の息子と娘がいる。

「でも佳織、人はそれぞれやよ。結婚したらそれなりにわずらわしいよ。絵だけ描かせてくれる理解のある旦那やったらいいけど、そういう人の方は多ないがんない? 面倒な付き合いがあったり、家族のことでうまくいかんことがあったり。自分ではどうにもならん悩みもあるしね。私は、好きなことに打ち込める佳織がうらやましいけどな」
 
 景子は以前、姑との同居で悩んでいたことがあるから、そういうことを言うのか、でも、確かに人間はある条件が満たされているからといって幸福になれるとは限らない。それはその人、それぞれだからだ。  
 
 先日見たテレビで「『増加する未婚ミドル』」というタイトルで、結婚をしないで生涯を過ごす男女をテーマにした番組をやっていた。
 『二〇一二年の人口統計資料集』によると、生涯未婚率(五十歳の時点で一度も結婚をしたことのない人の割合)は、女性で一割、男性は二割を超えたという。一九八〇年と比べると、女性は二倍、男性はなんと八倍になったそうだ。

 
 それから半月ほどしてもう一度、お見合いパーティに参加した。その日、業者の受付けは前回の女性の代わりに男性のスタッフが来ていた。そして、佳織が名前を言うより先に「三納さんですね」とその男性が声を掛けてきた。「この間、メールが届いていたので」と言う。何のことかと思ったら、そのメールというのは、佳織が片山に最後に送った日のものらしい。
「メールが飛んだんです。よくあるんです」
 つまり、メールの内容からして、佳織が困っている状況を察して、今日もたまたま片山が突然顔を出すとか、何かあってはと、男性スタッフが駆けつけたものらしい。メールの番号からも佳織のものだと分かる。そしてこの男性が名前も聞かず最初に佳織に声を掛けたのは、年格好からして佳織だとすぐにわかったからだろう。                 
 
 その日も三十代、四十代の男性ばかりで五十代の男性は一人だけだった。中間投票も二名の名前を書く欄があるので、しょうがなく書いたが、近くに座席替えした男性に声を掛けてみても、その男性は意中の女性がすぐ側にいたらしく、年上の佳織が話しかけても、さも迷惑らしくほとんど言葉が返ってこなかった。その日は話が弾む相手もなく、誰にも指名されず、壁の花だった。

 虚しい思いで会場のホテルの受付で、高岡駅行きのバス停の場所を尋ねた。そこへさっきの受付の男性が通りすがった。「よかったら、僕がお送りしましょう」と言う。有り難く駅まで送ってもらうことにして、ブライダル業者の車に乗り込んだ。

「さっきのメールのことなんですけど、メールの相手、大体想像はつくんですが、こういうことがあったら、返事をしないで着信拒否をすればいいです」
 業者の男性は佳織の心を読み取れているように言った。
「ええ」
 男性は、続けて  
「事務所の方にも、よく電話攻撃を掛けてくる人がいるんです。『こないだの女はひどい女だった』とか、『もっと、ましな女はいないのか?』とか女性とデ―トがうまくいかないと、電話が掛かってくるんです。別にお見合いのセッティングじゃないし、こちらで選んで会わせている訳ではないんですが。サクラもいないのに、サクラがいるんじゃないか、とか。わざわざ電話してきて。ときどき予約もなく、ふらっとやってきて、『今日は、ろくな女がいない』と言ってそのまま帰ったり。そういうことをするのはいつも同じ人なので、だから誰かというのはなんとなく分かります」
 
 その男性は、よく見ると商工会議所ででも働いていそうな、誠実そうな好青年だ。佳織は、事のいきさつを説明した。最終投票で二名の枠があったので、考えてみればどうしても書かなくてもよかったのに、書いたこと。その後でお茶を飲み、話をして、「電話を掛けていい?」と聞かれて面と向かって断れず「いい」とは答えたけど、家へ帰ってもう一度考えてみて、どうしても付き合いたい、と思えなかったことを話した。

「『甥の結婚式がある』といったその日にまで電話をかけてきたりして」
「最初はあまり個人的なことはやめてあたりさわりのないことを話した方がいい。電話番号を交換するということは、個人のことを教えることだから」
「そういう聞き方をしてくるんですよ。『何町に住んでいるか?』とか」
 業者の人も深く頷いた。
「遅すぎたんですね。本当はもっと早くにすれば良かったんですけど。今日も、周りは年下の人ばかりで」
「そうですね、年が離れている場合は、職場などで長く側にいると、気が合うことがあるようですよ……。三納さんは、相手によってどこかにお嫁にいかれるんですか? 少し遠くでも平気ですか?」
「ええ、家は地元にありますけど、母が二年前に亡くなったので今ではどこでもいけるようになりました。でも、今から捜してもなかなかうまくいきませんよね」
「みんな、かなり苦労されるみたいですね。もう少しきっかけになるいろんなテーマを設けた出会いにするとか、今、新しいプランも練っているところなんです」
 
 金沢市の自宅近くまで送っていくという男性は言ってくれたが、高岡駅でいいから、と固辞して佳織は高岡駅前で降ろしてもらった。
 
 しかし次の日から、佳織は熱を出して仕事を休んだ。町内のゴミ当番にも出れないので、近所のスーパーのおばさんにも断りの電話をかけた。おばさんはその夜、佳織の体を心配して訪ねてきた。
 
 玄関先から声を掛けて、佳織の顔を見るなり
「元気かいね。無理しられんよ。よかったら、おでん作ったがやけど、食べん?」
 ついでのようにおでんの入った温かい鍋を手渡してくれる。おばさんの顔を見ると、ほっとして佳織がお礼を言うと
「早よ治すまっし。それから土曜日、町内で、雪すかし(雪除け)のボランティア、頼んどったやろ、佳織ちゃんとこもやっといてもろがやろ。風邪、すっきりせなんだら、わざわざ(家の外へ)出てくることないよ」
 佳織の冴えない顔つきを見ながら
「もし、留守にするがでも、ちゃんとやっといてあげるさけ、それぐらい、なんぼでもするよ。なんせ、一人やさかいね」
 
 おばさんは、母とも頻繁に行き来していたが、子どもの頃から佳織もいつもかわいがってもらった。働き者で何事も気が回り、母が亡くなってからも一人になった佳織を気にかけてよく声を掛けてくれる。おばさんがポケットから手品のように柚の果実を五つ出して、佳織の手の中に落とした。柚は、瑞々しい香りと重みを持っていて、
「あら、こんなに。ありがとう、うれしい」掌に温かいものを伝えてくる。
 
 金沢の路地は狭く、雪が積もると屋根から落ちた雪のやり場がない。以前、やっと通れるくらいに道の脇に高く積み上げられた硬い根雪の間を無理して通って、車の側面を傷つけたことがあった。積もり積もって固まった雪の肌は、車体を傷つけてしまうほどに締まって硬いのだ。雪除けは一人暮らしの冬、一番頭を悩ませる問題だ。近所のおばさんの優しさが身に染みる。近所づきあいというものは本当にありがたいと思った。
 
 
 しばらくして、以前、登録していた結婚相談所から呼び出されたので行ってみた。相手のプロフィールを見て、希望があれば相手に直接電話で聞いてみてもらえるシステムだ。プロフイールを差し出されたので、何人かの希望者のプロフィールをパラパラと見てみる。中に五十代の人が二人ほどいた。

 その後、相談員が戻ってきて「どなたかいい人いました?」と聞いてくる。「この人は私と同い年みたいです」食品会社に勤めている男性を示した。「気に入りました?」気に入るとか以前に圧倒的に同じ年代がいないのでここは会ってみるしかないだろう。すぐ相談員は目の前で電話をしてくれたが、相手は「できればもう少し若い人を」と答えたということだった。
 
 もうひとり、二つ年上の人がいた。郵便局に勤めている男性だ。「これからは時間を見つけてふたりで趣味や旅行などをして楽しみたい」と書かれてある。写真の笑顔も優しそうだしこの人は良さそう、と思ってまた向こうに連絡してもらった。でも、今度の電話の返事もまた「もう少し若い人を」と即答のようだった。「会うだけ会ってみてくれればいいのにねえ」と相談員は佳織の気持ちを思いやって言ってくれる。
 はあー、現実は厳しい。五十歳という壁は大きいのだ。たとえ、同じ年代でも男性は若い女性がいいらしい。こんなにまでしなければいけないのか、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくる。こんなことをやっていて落ち込むだけ損な気がしてきた。


 陽射しが明るく暖かくなって、街を歩いているとどこからか花の香りがするようになった。季節が変わったのだと思う。佳織の家も雪囲いを解き、雪吊りを外して長い冬ごもりから解放されたようである。
 家の庭は雑然としているが、ハーブや山野草が所狭しと育ち、これからの季節は花水木や菖蒲の花も、艶やかに鮮やかな花弁を開く。

 明日は母の月命日だったので、仕事の帰りに母の好物だった諸江屋の生落雁を買って帰った。 
 次の日、仕事が休みなので家事を済ませて午後からはゆっくり過ごした。
草や花の匂いを感じたので、久しぶりに庭に降りてみたら、頭をもたげ始めた草木の中に二輪草と立(た)ち壺(つぼ)菫(すみれ)が小さい可憐な蕾をつけているのを発見した。

 山野草は、六十の手習いでお茶を始めた母が茶花にして楽しむために、山道で採ってきては庭に植えたものだ。今年もこうして生き生きと咲いてくれた。二、三本花を摘み、瀬戸徳利に入れ、座敷の床の間に飾った。
 抹茶を点て一口味わい、母に供えた生落雁をつまんでみる。それは舌の上に乗せると、まろやかな甘みがほろりと溶け、抹茶の苦みとよく合った。 
 
 母は二年前、冷え込む冬の朝にくも膜下出血で倒れ、数週間病院のベッドに寝付いたと思うとあっけなく旅立った。佳織に介護の苦労もかけず、そういう意味で心労がなかった。 
 母と二人きりの生活は、母が老齢になるにつれ、母を離したくないという執着を感じさせ、母という肉親がこの世からいなくなることが頭をよぎるだけで息苦しくなったものだった。
 しかし、そうしてあっけなく母が亡くなってみると、佳織に一人きりでやっていくという覚悟を植えつけて、却って悲しみから自由になった。これからは女一人どんなやり繰りをしても、細々となんとか生き抜いていくのだ、と決意させた。
 
 この家も老朽化が進み雨漏りがしたり、立て付けが悪くなったり、リフォームをするにはまとまったお金がいるし、自分一人で一軒家を維持していくのは大変ことだと思う。 
 本家ということで法事や冠婚葬祭と、なにかと出費が多いし、女の細腕で三納の家を護っていくのは、なんと心労が多いことか。あれやこれやで一人で生活することの困難や心細さに、ため息が出てくる。結婚していれば、こんな心配もまずなかっただろうと思う。

 だが、ここには家族のいろんな思い出がある。父、母が遺してくれた思い出とこの家。見知らぬ土地へ行くこともなく、一生地元で暮らすことに寂しさを覚えた頃もあったが……。 
 幼い頃からの友だちや近所のおばさんたちのいるこの街。それから一つの出会いも……。ただ、自分の中にある思い出の日々は、遠い学生時代の時空の底に沈んでいる。

 
 佳織が小学五年生の初めてのクラス替えの日、佳織の頭を「小さいなあ」と通りすがりに掌で撫でて行った男の子がいた。その子が正木優太君だった。社長の息子で、鷹揚で憎めない感じがする男の子だった。
 古い木造校舎の二階から中庭に飛び降りて、こっぴどく担任の先生に叱られていたことがあったし、学校にランドセルを置き忘れたまま家に帰って、翌日先生に叱られていたこともあった。先生に顔をつねられても笑っていた顔を思い出す。
 
 中学になって、二年生のとき一度同じクラスになった。佳織は美化委員だったので、掃除をさぼったり、黒板の消し方が悪い男子を注意するのが日課だった。遊び半分だった優太を毎日のように追いかけ回していた気がする。 
 高校は、佳織は商業高校に進んだ。絵を描くことは好きだったが、県外の大学は出してもらえそうもないし、金沢美大はレベルが高すぎたので手に職をつけるため、商業高校を選んだのだった。
 
 そこでまた、優太と再会した。優太は親の会社を継ぐために、大学の経済でも進むのかと思っていたのに、同じ商業高校だった。 
 しかもまた偶然が続いて一年のときは同じクラスになった。
 その年は父親が亡くなった年で強く記憶に残っている。
 七月、佳織は学年の夏の白山登山に志願した。優太もメンバーの中にいた。
 
 そしてあの日登山当日のことだった。山の斜面に沿って人一人がやっと通れる細い山道を列を組んで登っていたときだった。
 初めて履いた登山靴の靴紐が緩みそれを踏みつけて、あっと思った瞬間に体が空中に浮きそうになったのだ。そのとき、いつの間にか後ろに付いて来ていた優太が、とっさに佳織を抱きとめてくれた。
  もし、優太が抱き止めてくれなかったら、きっとあの長い斜面を滑落していただろう。
 
 あの頃、佳織は父親が亡くなってなかなか気持ちが立ち直れなかった。気持ちを一新するために白山登山を希望したのだが、担任の先生はそんな佳織の様子を見ていたのだろう。
 心配していたとき、優太が「僕が三納の様子を見ていますよ。後ろから付いていきます」と引き受けたのだった。当日の引率の体育の先生は小柄な女の先生ひとりだった。後から先生に聞かされてそれを知った。
 
 それからタイミングが合うことが多くなって部活動は佳織が美術部、優太が野球部、なんとなく待ち合わせて、自転車を引きながら二人で家路をたどった。毎日のように何を話していたのか、たぶん、先生の噂や友だちの話、その頃の他愛のない出来事だったのだろう。
 自転車置き場、文化祭の出し物で湧いた体育館。毎日、石膏像をデッサンしに通った部室。あの教室も、午後の陽射しが落ちる広いグラウンドも――。開けば必ずそこにある古いアルバムの写真のように蘇ってくる。
 
 新入生勧誘のオリエンテーションで優太たち野球部の上級生が、体育館でキャッチボールや素振りをやってみせたのをキャーキャー言いながら応援したこと。
 テストが近づくと、教科のやまを掛け合って当てっこをしたり、数学のわからない所を教えてあげたりしたこと。
 佳織が元気がないとき、優太が怖い怪談話をして脅かしてきたり、おかしな話をして笑わせたりしたこと。
 
 二年の秋、野球の県大会に行って、優太のチームは準優勝になった。佳織も応援に駆け付けた。
 準決勝では、気迫のこもった力戦奮闘の試合になった。
 真っ白いユニホームを着た優太に、泥に塗れたいつもの姿が重なる。
 佳織は夢中になって声をふり絞って声援した。
 青空を背負ってグランドに立つ優太は、今、この一瞬に自分の力の全てを注ぐ果敢な一人の若者だった。
 ピッチャーの優太は完封を狙ってはいたが、八回に一失点し、被安打六で完投勝利した。一対一の同点から、最後は優太の変化球で相手チーム打者の三振を勝ち取った。
 結果、二位を獲得して北信越大会へ出場したが、北信越では一回戦目、コールドゲームとなり相手チームの圧勝となった。
 
 試合の後、応援のお礼に優太から映画に誘われた。そして映画を見て帰り道、犀川の川辺で佳織が作ったお弁当を二人で食べた。その日の朝、母に教わりながら苦心して卵焼きを作ったのだった。
「試合、惜しかったね。せっかく北信越まで進んだのにね」
 優太は焦げた卵焼きを頬張りながら、愚痴も言わず、
「いいよ。精一杯やったから。佳織のお陰で頑張れたわ。来年の夏、また応援頼むな」
「優太は中学のときからずっと野球、頑張ってきたもんね。優太のチームは強いし、来年もきっといいところまでいけるよ。」
「また、夏に向けて頑張るわ。強い球を投げるわ」
「うん、優太なら大丈夫やわ。皆で応援するから」
「来年は、甲子園めざしてがんばるぞー。コールド勝ちするぞー」と優太は声を張り上げた。
 
 水辺の風景を映し出す透明な川面を見つめながら、自分たちの果てしない未来が広がっていく気がした。

 だがその後の三年生夏の県大会は、残念なことに優太は肩の不調でピッチャーは降りることになった。監督から言われたようだった。
「監督からピッチャーは無理やと言われたんや。ファーストかサードに廻れと言われた」
「残念やったね。あんなに練習してきたのに。でもどこのポジションでも優太は偉いよ。いつもあんなに練習しとるんやから」
 今年もピッチャーで、去年以上に活躍して高校生活を締めくくりたかっただろう。小さい頃からずっと頑張ってきたのだから。

 思い出すと、ピッチャーを夢見て自分の腕や肩を大事にしていたのに、高校一年のとき登山で滑落しそうになった佳織を、しっかりと大事な両腕で抱き止めてくれた優しい優太だった。あのときの佳織の心の痛みを思いやって、山道を後ろから付いてきてくれたのだろう。

 しかし、県大会でも思うような成績を残せなかったチームは北信越に進むことはなかった。

 秋になって、文化祭も終わり、あの日も一緒に帰った。
 夕日が、大きく、鮮やかに、グラウンドの木立の向こうに落ちかかっている。高校三年生、二学期、これから、新しい進路を歩いて行かなければならない。 
 優太は、「高校を卒業したら、やっぱり就職するが?」と佳織に聞いてきた。「就職する」と佳織は答えた。
「三納は、数学得意やな」
「うん、事務、経理の仕事やろうと思っとる。お母さんもいいいうし」
「でも三納は美術が好きなんやろ。今日、展示してあった三納の絵、うまかったなあ、あの絵、風景の絵。東京で勉強したらどうや。経理なら、どこでもできるやろ」
 佳織は優太が意外なことを言うと思い、そういえば以前に優太が佳織の絵を見て「佳織は絵描きになったらいいわ」と言っていたのを思い出しながら、
「東京。うーん、うちは、おかあさんと弟だけやし、なかなか県外には出れんわ。正木君こそ、会社を継ぐんやろ。あ、でもそのための勉強みたいもんもあるね。前、言うとったやん、スポーツクラブの会社つくりたいいうて」
「そうやな」
「正木君は、今後どうするつもりなが。もしかして東京でも行くが?」
「わからんけど、親父が行くつもりかもしれん。僕は親父の仕事やろうと思うとる。佳織も東京、行くつもりないかな。広い、世界見れるぞ」
「そうやね。出たい気もするけど、母親がおるし。家の跡取らんなん言うし。正木君は、いつ行くが。どのくらい行くが」
「まだ、わからん」
 
 優太の中にどんな思いがあったのか、以前から思っていたが、優太のお父さんの仕事がうまくいっていないのだろうか、その都合なのだろうか、と思いながら、それ以上言葉が出なかった。その後も、今度同じことを聞かれたらどう答えよう、と考えているうちに三学期が始まってしまった。 
 ある日、優太のクラス担任の先生が、優太が事情があってもう学校に出ては来ないことをクラスメートに伝えたらしかった。父親の事業が難しいことは前から噂で気付いていたが、そのことと関係があるのだろうか。狭い街なのでクラスの友だちも優太の家のことは知っていたようだった。
 卒業式も待たないで、佳織にも告げないで、よほど事情があったに違いない。
 
 卒業式の日が来た。佳織はもしかしたら、彼が卒業式だけは出てくるかもしれない、と微かな期待があったので、ずっとそれを気にしていた。卒業証書の授与式はほとんど上の空だった。
 文化祭の帰り道、あの時、優太に聞かれたときに「私も東京に行きたい」とはっきり気持ちを言えば良かった、と思った。あのとき言えば、そうすれば運命は動き出したかもしれないのに……。
 
 青春の淡い切ない思いは胸の奥底に沈み、悔やむ思いを引きずった。その後、つき合った男性もいたのに、過ぎ去った遙かな思い出の方がより心に残っている。普段は開かないアルバムの写真がいつまでも色褪せないように。
 
 
 母娘二人の暮らしでは、婿をもらわなければいけないが、縁談が持ち込まれてもちょうど良い相手がなかなかいなかった。母も佳織も、もう養子をとるのではなく嫁に行っても良い、とあきらめたときにはパタッと縁談も途絶えてしまっていた。
 
 いつ見たか忘れてしまったが、『魂萌(たまも)え』という小説をドラマ化したテレビドラマがあった。
 独立した子供たちのいる中高年女性が夫に突然死なれ、夫の愛人の存在も知り、これまで生きてきた主婦としての穏やかな幸せが揺らぎ、生き方を見つめ直す作品だったと思うが、その主人公の立場になぜか共感できるものがあり、「魂萌え」という言葉と共に印象に残ったのだった。 
 魂萌え、か。私には、魂が萌え、燃焼するような時間はあるのだろうか。女性として胸を熱くして命を燃やす思い、子どもを生み、育てていく人生、それもなく終わってしまうのだろうか。

 四月の連休を前にして、景子から連絡があった。二年前、小学校の同窓会をやったきりなので、近隣の者が集まらないか、と言う。

 前回の同窓会は、佳織は母が亡くなって間もなかったので出席しなかったが、前回出席したメンバーに加えて、いつもは忙しい学級委員だった奥村駿一も来るという。成績も優秀でスポーツもできた彼は今、市内に会計士事務所を構えて上場企業の仕事もこなして、事務所は大変な盛況ぶりらしい。
 
 居酒屋へ着くと、他の四人は既に到着していて、振り返った面差しにそれぞれの懐かしい面影が残っていた。男性の一人は酒屋をやっている中谷卓也。もう一人は駿一。女性は二人。華やかな容貌を残している原田麗子。それに穏やかで家庭的な感じの景子。 
 卓也は、家業の酒屋を継いでいて、童顔のせいか、四十代にも見える。駿一は、おつむの方が少し寂しくなったようだが、税理士の資格を持つ奥さんと二人で事務所をやっている。来週、娘さんのアマチュアゴルフの試合で、応援に行く予定らしい。もうすぐ東大を卒業する優秀な息子もいて、仕事は会計士志望ということだ。
                 
「お前、うまいこと育てたなあ。よく親父の仕事、継ぎたい言うたなあ」
 卓也は感心したように言う。
「そりゃあ、小さい頃から洗脳したから。親父が子どもに自分の仕事の愚痴、こぼしたらダメなが。親父の仕事はいいぞ。こんないいもんないぞ、いうて日頃から言うとるから、そんな親の言葉聞いて育っとるから、子どもも継ぎたい言うがや。どんな仕事だって、いいこともあれば悪いこともあるもん、悪いことばかり話したら、子どももやりたくなくなるから」
「なるほどねえ」
 皆が感心した。
 卓也は振り返るように、     
「俺なんか、田舎居りたないし、家の仕事もやりたなあて、二度とこっちへ帰らんわ、思て外出たけど、結局、こっち戻ることになってしもて。優秀な営業マンやったがに」
 以前はデパートの外商部にいたらしい。娘は二人いるらしいが、当分は嫁にやりたくないらしい。
 
 熱烈な恋愛の末、結婚した麗子も円満な家庭に落ち着いているようだ。少しちらつき始めた白髪を旦那に染めてもらったとのこと。それを聞いて景子は
「あら、仲いいわ。うちなんか、何日もほとんどしゃべったことなんかないわ。今朝も、なんでかいきなり、『今日、出かけるがか?』いうて、急に言うから、あらー、どうして分かったがやろ、思たわ。これから何十年も一緒におらんなんがか、思たら、ため息出るわ」
 とため息をつく。
「なあん、うちもこの間喧嘩した。具合悪いがに枕元でご飯作れ言うから、あんときはさすがにカチンときて、二、三日、口利かんだわ。そしたら向こうから『ごめんね』いうてあやまってきたわ」
「あらー」
 景子は、やはり、うらやましそうだ。
「三納さんは、いつまでも若いね。きれいやわ。まだ、いくらでも結婚できるよ。知り合いの男の人でも、いくらでも独身の人がおるよ」 
 麗子に言われて、佳織は久しぶりのお酒に酔ったふりして、ふふふ、と笑った。
 
 それから地元にときどき優太が帰って来ているという話が出て、前回のクラス会にも出席したという。腎臓が悪くて以前検査入院していたことを卓也は話した。
「透析受け取るいうとったな。仕事も減らした、いうとったわ。大変ながでないかね。大分前から悪かったらしいよ。長くかかるいうことは、良くないがでないかね。まだ、独身らしいよ」
「この間のクラス会に来ておいでたが?」佳織は母が亡くなった年なので欠席したのだ。               
「うん。久しぶりやから、懐かしかったわ。明るく元気そうにしとったけど、しんどいがでないがかね。体がだるい、いうとったもん」恵子も口を添える。 
 では前回のクラス会に佳織も出ていれば、きっと優太に会えただろう。これからも故郷と行き来するつもりなのか。会いたいような、しかし、会いたくない気持ちもする。なぜか、もう二度と会えない気もする。
 
 何か、胸を覆うような悲しみに襲われた。あれからの正木君の人生は、たぶん波乱に満ちたものだったのだろう。なぜ、結婚しなかったのかは分からないが、病気が深刻なものなら、今から結婚することもないのかもしれない。父親の会社が倒産して、父や母を抱えて他郷でさぞ、苦労があったであろう。人の運命というのはときに過酷なものだ。
 
 二軒目は、ファミリーレストランに移動した。
「近いうち、また同窓会しよう。今度は三納も出て来いよ」
 好物の白玉を頬張りながら、駿一は言った。 
しばらく学校時代、流行った遊びや思い出にふけった。
「うちは、高校卒業してしばらくで結婚したやろ、みんなの中でも、だいぶ早くおばあさんになったがんない?」 
 麗子は既に八歳と六歳の孫がいる。麗子の娘は、高校の先生と愛を育んで結婚したが、そこへ行き着くまでがPTAや学校まで巻き込んで大変な騒動に発展したらしい。狭い街なので。 
 
 駿一は突然、真面目な顔で
「自分がたとえ順調な人生を送ったとしても、子どもは全く違う人生を持っとるやろ。運命というか。親であってもどうしてやることもできないことがあるから。こんな先行き不安な時代に子どもを残したりしたのは、重い宿題を残したような気がするよ。――小泉首相だったかな、そういえば言ってたんだよ。この世界で最後まで生き残れるのは変化に対応して進化する生き物なんだって。僕らもそれなりに進化して生きてきたんやな。だから、これからは子どもらも進化してもらわんとね。僕は静かにそれを見守るとするよ」
「なるほどね」
 景子はうなづく。
「最近は巣籠りだよ。以前はゴルフだ、つきあいだってやってたけど、最近はじっと大人しくしてるよ。奥さんの言うことをはい、はい、と聞いてね」
「あら、そうなん。品行方正やがいね」
「ちゃんとありがとう、言うしね。夫婦といえど細かいことをいつも言葉で伝えあって、毎日の小さな積み重ねが大事なんだよ」
「さすが、(人生の)達人やね」
 佳織も、景子と同じように言う。そして皆で席を立とうとしたときに、俊一がふとつぶやいた言葉が聞こえた。
「青春はもう終わったよ」
「青春は、もう終わったよ」その言葉は佳織の胸深くに響いた。

 
 六月、季節はまた、新しい風を運んでくる。景子から電話があり、茶道をやっている彼女から百万石茶会に誘われた。それは、百万石祭りに開かれる各流派の大寄せの茶会である。佳織は母が生前、佳織のために揃えた着物を久しぶりに箪笥から引き出してみた。 
 母は結婚の支度に、やり繰りをして夏の留め袖から訪問着や無地の着物を何枚も佳織のために誂えていたが、自分のように茶道をたしなむときのためにとでも思ったのか、着物を着ない時代に、これだけ品数を揃えてくれたのかもしれない。
 その中から佳織は薄い橙色の地で、小槌に小菊模様の付下げを選んだ。帯はクリーム色の地で、花菱模様の西陣名古屋帯である。
 
 当日、裏千家の茶会は、中村記念美術館向かいの旧中村邸の二階で催された。一階が待合になっており、茶会は二階で行われた。
 二階に通されると茶道の心得のない佳織は景子に言われた通り、正客とお詰めの席は避けて座った。
 
 ちょうど、佳織が座った席の隣に若いカップルが座った。男性はベイジュのスーツを着て、女性は淡い肌色がかった白っぽい紬の着物を着て、髪を結い上げた横顔がすっきりと美しかった。良家風のカップルという感じだ。
 女性が畳に手をつく所作が流れるようで、茶碗を扱う様子も茶道が身に付いているようだった。客たちの中でも、一際目を引く。お茶のお運びをする女性の中に、景子の姿も見えた。

 茶会から引き上げ、旧中村邸を出て、佳織は裏山の方から本多の森へ抜ける階段を上った。伸びやかに重なる木々の緑は濃く、脇を流れる小さな用水が、微かな水しぶきを散らしている。すると、さっきのカップルが先に階段を上っていくのが見えた。 
 階段が広くないので、男性がまず階段を上り、その後を女性が追って一歩、一歩上っていく。着物を着ている女性は一気に上ることができないが、先に上り終えた男性が上で待っているらしいのがわかった。

 仲の良い感じが端から見てもわかったが、二人の様子から、恋人というより夫婦のようにも見えた。透き通るような初夏の時間を、辺りの風景に溶け込むように、木漏れ日が柔らかく二人を包み込んでいる。
 
 本多の森に抜けると、そこは短大の校舎と付属高校が以前あった場所で、今は県立美術館となっている。佳織が勤めている大学も、以前は近くの兼六園の桂坂から石川橋を渡った石川門の中にあった。大学がそこにあった頃は、土曜日にはすぐ側の兼六園で花見をしたり、スケッチブックを持ってデッサンをしたりしたものだった。
 
 そして、県立美術館の後方には、元の旧金澤陸軍兵器支廠、その後、金沢美術工芸大学でもあった現在の県立歴史博物館がある。かつて学生の息吹で溢れていたであろう、美術工芸大学跡のその場所を昔も訪れたことがあったが、そのときと同じ装いで、がっしりした赤煉瓦の堅牢な建物が三棟、ほとんど人影のない静けさの中に佇んでいる。 
 ときどき裏山の木立の中に、鳥の鳴く声が静寂を破ってピチュピチュピーツィと響き渡る。
 
 出羽町の交差点を抜けて兼六園沿いの道を広坂方面に降りると、どこからか、水の流れる音が聞こえてきた。兼六園を流れる湧き水の音だろう、と思った。坂を下りると、石浦神社の木立が風に揺れ、陽射しに輝いていた。今日は百万石祭り最終日のせいか、交通規制は解かれている。
 思い思いに陽射しの中を行く人、車。街路樹の木々も木漏れ日の中にさざめいていた。 
 あまりに美しい日なので、亡くなった母と天を通じてどこかで繋がっている気がする午後の一日だった。
                    了
                   
【参考文献】インターネット NHKハートネットTV       


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