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そのときが来て

  裏庭に夏椿が点々と枯れ落ちていた。
 先日見たときは夏椿と白と紫の杜若が緑の中に鮮やかに映えていた。今日はそれもみな咲き終わって、しとしと梅雨の長雨の中に、庭の木々や草花は潤んでいる。
 裏庭の路地は、夫の隆が数年かけて苔をひき、雑草を間引いてきたものだ。夏椿、柿の木、花みずき、躑躅、芍薬、ばらん、楓、紫陽花。今も年に二回は庭師に手を入れてもらっている。
 そして家の前の庭には、四季折々の花が所狭しと植えられている。
百合、忘れなぐさ、紫陽花、チューリップ、パンジー、スノードロップ、クリスマスローズ、鉄線葛、さくらそう、撫子、水引草、マリーゴールド、秋海棠、鈴蘭、金魚草、カラー、ひまわり。野ばら。朝顔。桔梗、サルビア、アストロメリア、躑躅、姫リンゴ、白椿。他に和洋のハーブ。
 
 義母がベッド生活になってからは隆ひとりで黙々と手入れをしている。肥料を撒いたり、水やりをしたり、薬を撒いたり。鉢植えの花の場合は特に渇きやすいので水分補給が大事らしい。冬期以外は何かしらの花が庭の片隅に顔を見せている。花々が競って咲きそろう春の季節には家を訪れた人たちが感嘆する「花の家」だ。
 夫、隆は、県の土木の仕事をしている。若い頃、隆が単身赴任で家を離れたときは子供の学校があるので佳子は夫の実家で隆の両親と残り、子供育てに追われた。やがて舅も亡くなり、義母がいつも花壇の手入れをしていたものだ。
 

 六月、隆が胆石の手術で入院した。見舞いに行くと、うっとりとした目を開けて天井を見つめていた。「どうかしら、体調は」声をかけると「そうだね」いつもの様子だった。

「やっぱり、二週間はかかりそうなの? 顔色は良さそうね」佳子は洗濯物をまとめながら、気になってることを一気に話し出した。
「お義母さんのことだけど。この間も、夜のあいだに動き回って疲れて、ベッドに上がれなくなっていたの。朝見たら、もう、茶の間にはスリッパが脱ぎ捨ててあるし、お義母さんはベッドの下に寝ているし、大変。これが冬だったら肺炎になってたわよ」
   去年の冬、転んで怪我をして、医者から風呂に入らないように言われていたのに夜中の十二時頃にこっそり一人で風呂に入ろうとしていたことがあった。慌てて義母に着替えをさせ、夫を起こして二人で抱えて、ベッドに連れ戻したのだった。
 隆は佳子の話に反応せず「こんな静かなところにいたら、事務所に行くのが嫌になるよ」のんきそうに欠伸をしている。意外に病院生活になじんでいるようだ。
「早く良くなって退院してね。私ひとりじゃ何が起きるかわからないのよ。あなたもあまり長く休んでリストラされても嫌でしょ。今後のこともあるんだし」ちょっときつい言い方をしたら隆は
「わかったよ。早く治して帰ればいいんでしょ。君もこんなところにいないで早く帰った方がいいんじゃない、母さんが待ってるよ」不機嫌そうに窓の方に寝返りを打った。
 さっきからいい香りがすると思ったら、見ると病室に百合の花が飾られていた。見舞客にもらったのだろう。隆の好きな花だ。

 
 義母は、九十歳。長年患ってきた脊柱管狭窄が原因で家の中の歩行も不自由になっている。
 五年前、家の中で転んで、背中の骨を圧迫骨折してベッド生活となった。それからは要介護がついて自宅療養している。すっかり子供のようになり、佳子を母親のように頼るようになった。夜中にお腹がすくからパンを買ってきておいてくれ、とか、本が読みたいから、図書館から本を借りてきてくれとか。
 毎朝、お湯でしぼったハンドタオルを持って行き、顔を拭いてさっぱりしてもらって一日が始まる。図書館で大活字本を探して持って行くと待ってました、という顔をするし、時々窓を開けて夕焼けを見せてあげるとうれしそうにしている義母を見ると佳子までうれしくなる。そんな義母は本当の母のように愛おしくて、もっと義母の喜ぶことをしてあげたくなる。
 自分が元気でいる限りは大事にしてあげたい。それがこの家の主婦としての務めなのだから。

 しかし佳子がインンフルエンザで寝ていたときには驚いた。しばらく佳子の姿を見ないので、心配していきなり二階まで上がってきたのだ。本当にびっくりしたが、隆も留守中のことなので一人でなんとか義母を抱えて階下に下ろした。義母によくインフルエンザがうつらなかったものだ。
 去年あたりから、ベッドに上がる力がないときがあって、夜中に床で寝ているときがあった。足を踏ん張れないものだから襖が閉められなくて、襖が開いていることもある。冬になって寒くなったら、危険だろう。トイレへ行くときの廊下の阻喪もひんぱんになっている。部屋のポータブルトイレでは嫌がって便をしようとしないのだ。

 隆も退院したし、義母のことで、施設に預けることをそろそろ隆と相談しなければならない。
「君の思うとおりにすればいいよ。母さんのことは君に任せてるんだし」
「でも、施設と言ってもいろいろ探さなければいけないのよ。家で出せるお金は限られてるし、見つけるためには一件、一件実際に見て検討しないと。入ってから出るなんていうことはできないことだから」
「だけど僕はとても行けないのだから、やはり君が探すしかないんだから」
「ここどうかしら。これなら家からも通えるし」
 小奇麗な建物が写っているパンフレットを見せてみる。この市の運営の施設なら、十四、十五万円も出せば基本料金は払える。義母も厚生年金に入っていたし、あと十五年は入っても大丈夫だろう。

「だから言ったじゃない。君が良ければいいって。僕に聞いてもわからないよ」
 こういうときの隆は一ミリも動じない鉱物のようだ。自分の母親のことだから、もう少し話を聞いてくれればいいのに。
 ビールを注ごうとする佳子の手を払うようにビールを抱え、書斎に閉じ籠った。これから心静かに我が家での暮らしを送っている義母を施設に送ることになるのだ。やれやれ、施設に入るのは一体誰が説得するのだろう。結局、私が憎まれ役になるのか。

 
 今年から学童保育の仕事を始めている。車で五分くらいのところにある、小学校の棟つつきの建物だ。この仕事を始めるのが佳子はずっと楽しみにしていた。職員は佳子を含めて五人で仕事は、子どもが学校の授業を終えて集まり始める午後からだ。
 一日の日程はというと、まず授業が終わって入ってきた子どもたちが入ってくる。すぐに手を洗うと子どもたちはそれぞれの宿題を始める。先生はそれを見回りながら、解けないで困っていそうな子どもを教えるという流れだ。
 おやつの時間になると先生は机を拭き、班ごとにおやつの籠を置き、台拭きを側に置く。班長さんが自分の班の席を拭いてから人数分の菓子を皿に入れて持っていく。みんなが席についている様子を班長さんは傍らで見ていて、やがて「姿勢をよくしましよう。いただきます」と一斉に号令をかける。
 先生は合間、合間にふきんを洗ったり、皿を自動洗い機に置いて洗剤を入れて洗う。
 食器洗い機に皿を並べるのが意外とできなくて、苦労する。後で皿に水が溜まっていたから洗い直したと言われたことがあった。
 こういう狭い空間で、例えば数名の職員の中で、うまくいかなくなったり爪はじきにあったりすると辛いだろうな、と思う。

 お遊びの時間になるとぼちぼち親が迎えに来る。親やら祖父やらなかなか顔を覚えられない。帳面に子どもの名簿と迎えの時間がメモしてある。おやつの時間より早く来た親には、袋に入ったおやつを渡す。子どもにはかばんや水筒、プールなどの用品を忘れないようにして持たせてやる。母親の迎えをずっと待っていた子どもは母親の顔を見るとぱっと顔を輝かせてなんとも言えないかわいい顔をする。
 若い頃やっていた小学校教員の仕事を生かせると思って、学童保育の仕事をやり始めたが、やはり若い頃のような勘が取り戻せない。
 ほとんどの子どもの親が迎えに来る頃になると、床に掃除機をかける。

 土曜日。昼過ぎ、体育館へ行く日には先生はボールを用意したりして、うちばきを手に体育館へ出かける。体育館横の職員室前に来ると子どもたちを整列させて、代表の子どもが「おおつ放課後クラブです。体育館使用させてください」と声をかける。夏の体育館は非常な暑さだ。
 戸を開け放つ。水筒を持ち、体育館の倉庫の方に置き、休憩時間には子どもはそこへ飲みに行く。それぞれにボール遊びをして、その後、体育館をモッブで拭く。

 プールに出かける日にはプールの準備のためのシートを庭先に広げておく。プールから帰るとシートの上で着替えをさせるためだ。
 女の子は着替えのとき男子の視線を気にしたりするので間に立っていると、今度は男子が間に立っている先生の視線を気にしたりする。着替えが終わって部屋に入るとまず手を消毒させる。水に入った後の髪の毛が濡れているのでタオルを持って来ない生徒にはタオルで拭いてやる。

 葵ちゃん。とても無邪気でいつも甘えてくっついてくる女の子。なんてかわいいんだろう、と思っていたら、少し相手をしないといきなり佳子の手の平に爪をたててくる。ギュッと力を込めて爪を立ててきたのでびっくりした。はあ、家ではきっとこんななんだな、わがままなんだな、子どもの一面が見えた気がする。
 空来君。他の子とつかみあったりしてケンカをしていたので中に入って治めようとしたら、突然、佳子に拳をあげてきた。「大丈夫、大丈夫」と言ってなだめたら、静かな顔つきになってきた。上からがんがん怒ったら、却ってこういう子は収集がつかなくなるだろう、責めてはいけない、と思った。かと思うと、誰かが「アホ」と言った、と言って、ドッヂボールをしている真ん中でたちすくむ子もいる。
 
 学童保育のパートは週に三回。これまでは義母の介護と夫が単身赴任中の子育てなど仕事ができなかったが六十歳なる前にどうしてもなにか仕事を始めておきたかった。長男の博も東京で結婚して独立しているし、仕事をするなら今しかないだろう。

 娘の香名子から国際電話が入った。
「渉君はどう、元気にしている?」孫の渉は五歳の男の子。かわいくなっているだろう。顔が見たい。
「便秘がちで困るのよ。お腹が弱いみたい。よく泣くわ」まだ小さいから排泄をすることに慣れないらしい。あの我がままで甘ったれだった子が、トイレに付き添って一緒にトイレ訓練をしている姿を思い描くと不思議な思いだ。母親らしくやっているようだ。

 十年前、突然留学をしたいと言い出した娘だったが、佳子は安易に外国へ行くのは反対だった。だが、娘は隆を懐柔させていつの間にか留学費用を出させてしまった。隆は佳子に言ったものだ。「僕も自分が若かったら留学でもしたかったね。ただ、事情が許さなかっただけで。それができるときにするのはとてもいいことだと思うよ。君が心配なのは親の心配を押し付けてるだけじゃないの。そんなに心配なら、君も一緒に付いて行ったら?」
 三人で話しあおうとしても隆は巧妙にかわすだけでろくに家族で話す機会もなく香名子に押し切られてしまった形となった。今では、アメリカで彼氏を見つけて結婚している。留学した時点でそんなことは十分考えられたのに、右も左もわからぬ外国でなくできれば日本で結婚してゆったりと子育てもしてほしかったのに。

 
 ある日、学童で子どもが通知表を見てくれという。「先生、今度は3が三つあったよ。先生、見てみて」とうれしそうに通知表を目の前で開く。3段階評価の内、3が三つだから佳子もうれしくなって「へぇ、すごいねえ、よかったねえ」と喜びながら通知表を覗いた。
 しかし、その様子を見ていた小谷さんが、後で憤慨しながら指摘した。「成績表を親より先に見てどうするんですか。親が先に見たがっているでしょう」佳子は突然言われて驚いた。
「ですけど、こうして通知表を見せてくるのでそれを断ることはできないです」
「先生に見せるよりも先にお母さんに見せてあげて、といえばすむことじゃない」
「でも、私に見てほしい、と通知表を開いて目の前に見せてきたのですから、拒むことはむずかしいと思うのですが」
 普段から私になついているその子は私に見てもらいたかったのだと思う。佳子としてはどうも納得がいかない。先生、見て、見て。と待ち構えているのだから。

 三人の同僚とは四六時中一緒なので、なにからなにまで見られていてとてもやりにくい。並んでいる絵本を整理している小谷さんに
「手伝いましょうか」と声かけしたら
「いちいち言われなくても、気を利かせてやるの。そんなこと見てれば何してるか分かるからやることは自分で見つけてやってください」といきなり振り向きざまの言葉だった。
 薬を飲んでいないと、やたらと動きまわり、また、人に手を出したり、トラブルをおこし続ける子もいる。それを見てそれを制しながらすぐに近くにいた小谷さんに告げる。
 すると小谷さんは
「注意したりするのも、私たちに任されても困るのです。自分でちゃんとやってください。見たら、自分で責任持って注意してください」激高した様子だった。
 佳子としてはまだ慣れないので、どのような注意の仕方をしているか、職員の様子をみてからと思っていたのですぐ傍にいた小谷さんにも知らせたつもりだった。自分が別に注意する責任を回避していたのではない。咄嗟に分けて入ったが、叱り方というのはかなり難しいからだ。以前の職場では、往々にして子どもへのこうしたときの声かけが職員によって一貫性がなくてそれでトラブルが起こりがちだったからだ。

 通知表事件以来、佳子と揉めた小谷さんは事あるごとに感情的な決めつけた言い方で気持ちをぶつけてくる気がする。難しい。職場で仕事がなんとかうまくいくなんていうのは大変なことなのだな、と思う。早く仕事を覚えてこの場で必要とされるようにならなければ。

 
 隆の方は退院してからも体調はいいようだ。台所などやらなかった人なのに自分で体にいい玄米のおかゆなど作って一日に何度かに分けて食べている。鼻歌など歌ってなんだかうれしそうにも見える。

 佳子の帰りが遅い土曜日に早く帰ったときには、サラダやドレッシングなんかを手作りしていてくれて、それがとってもおいしいのだ。六十近くなって、ゆったりと日々の暮らしを楽しみたいのか、このへんで忙しかった生活からテンポを変えたいのか。来年停年だが「事務所はこの辺で辞めてもいいし、すこし休んでから今後のことは考えたいと思っている。長い間、働き続けてきたからね」余裕を持ってさえいる。
「ああ、そうなんですか。それだったら、別に私に相談はいらないわ。家もあるんだし、好きなことをする余裕はあるんじゃない」
 つまり、これからは夫が家に居るわけか、三度の食事の世話やいろいろ、仕事もあるし、やれやれ、ゆっくりしてはいられない。

「今日は、向かい(の魚屋さん)に天然の鮎があったのよ」
 香ばしく焼けた鮎に食欲をそそられながら食卓に並べる。旬の味を噛みしめながら、今日、学童で子どもを迎えに来た保護者が偶然小学校の同級生で、既に五人も孫があると言っていたと話す。「あー」とか「ふん」とか聞いている隆にそういえばこの人も年相応になってきたと感じる。なんだか体が小さくなったみたいだ。着古した紺色のティーシャツから覗く首筋のしわや鮎を突いている手の甲には、年齢が表れている。
 昨日、漬け込んだきゅうりの糠漬けを口に放り込む。やっぱりいい味。毎日こまめに手入れしてきた糠味噌の味は、長年の野菜のエキスを吸って舌の先に滋味がじわっと染み込む。これだけで何杯もご飯が進む。いくらお金を出しても買えない味だ。

 その後、義母は施設に入った。隆も職場に復帰した。今日、また義母に会いに行って来ようと思う。休みの日というのに、隆は仕事で抜けられないと言う。出かける身支度をしている。
「じゃ行ってきます、お義母さんに何か言伝てない?」
「別に、何も」と返ってきた。
 だが義母を施設に入れるまでは一騒動あった。ケアマネージャーさんや、訪問看護の方からも義母にそれとなく話してもらい、デイサービスも利用して施設に慣れてもらうようにしたが、最初のデイサービスで行きたがらなかったこと。その日、せっかく詰めた荷物を中から引っ張り出して「行きたくない」とだだをこねたこと。

 帰って来ると先に隆も仕事先から戻っていた。
「お義母さん、元気そうだったわ。あなたはどうして来ないのか、しきりに聞いてたわよ」返事がない。
「今度、あなたも一度行ってきたらどうかしら。そう、今度一緒に行きましょうよ」更に返事がない。
「会えるのもお元気なうちよ」
「僕は仕事、わかってるでしょ」
 ビールを飲みながら特に好きでもないクイズ番組から目を離さない。男性というのは、一定の年齢を過ぎるとすっかり母親に無関心になってしまうのか。それとも、言えば切ないから言わないだけなのか。
 佳子は義母が施設のトイレに入っているすきに後ろ髪をひかれる思いで出てきた。施設に入った最初の日は佳子がいなくなった後、義母はどんなに辛かっただろうか、寂しかっただろうか。今日はどうしているのだろうか。胸が痛む。 

 義母が施設に入ってからしばらくして、日曜の午後。佳子は突然隆から思いもかけない停年後の予定を告げられた。
 その日久しぶりに隆がリビングでゆったり音楽なんかを聴いていたと思ったら自分で淹れたドリップコーヒーを啜りながら、厳かにつぶやくようにおもむろに決意表明をした。

「停年になったら、僕たちは別々の道を進んだ方がいいんじゃないだろうか。君も、その方が自分らしく生きられるんじゃない?」
「え、どういうこと?」佳子は思わず隆の顔を見返した。
「別々の道って何のこと?」
「つまり僕たちは別にいつまでも一緒に暮らさなくてもいいんじゃないかな」
 なんと、今の言葉は私たちの生活の終わりという意味?隆が思い描いていた生活は私の思惑と全然違っていたということなのか。いつも自分の意見をはっきり言わない人なのに。
「え? それじゃ、あなたはどうするの?」
「僕のことなら心配いらないよ。今時、宅配もあるし、食事でも何でもそろってる時代なんだから、なにも心配いらないよ」落ち着いたものだ。
「いきなり急にそんなことを言われても困るじゃない」
「もう、人生、あとが長くないんだから、生きたいように生きた方がいいと思う」

 おそらくは心の中で何度も反芻したそれらの言葉を隆はなんのためらいもなく言ってのける。佳子は慌てて自分の中で返す言葉を探す。でも、隆の言葉はそういえばいつからか予期されていたドラマの結末のようにしっくりくる。
 
 とはいえ、ここへ来て長年続けてきた暮らしを壊すのは大変なことだ。特に男性はそうではないかと思う。でもそれを敢行するだけの覚悟や事情が隆にはあるってことだ。
 もしかしたら、隆には私には言わなかった誰か女の存在があるのではないかしら。あの病室の百合の花は。そういえば単身赴任したときのさっぱりとした部屋の様子。普段のワイシャツ一枚一枚にまでアイロンがかかって、タンスの中もきちんと整理されていた。あんなに子煩悩だったのに香名子が留学するときにも冷静だった合点がいく。自分の心を満たす場所が他にもあったから?
 それでも、私はそれどころじゃない、日々、家事に追い立てられていたのだから。

 隆とは、大恋愛でもなんでもないが、知人の紹介で結婚し、子供も二人生まれ、平凡だがなんとかやってきた。こだわりの書斎にこもり、私の作った料理を何の感想も言わずに食べ、今は自宅から毎朝出勤していく夫。安心していた。ろくに会話がなくても相談にも乗ってくれなくても、それにもすっかり慣れてしまっている。自分は本当にのん気者だったんだ。

 隆は更に初めて命が吹き込まれた人形のように目を輝かせて言った。
「この家は少し庭を広げて、カフェをやろうと思うんだ。週末だけの自家製ハーブを使った飲み物を出したい」
 それじゃ、なおさら私の手助けが必要ではないか。それにカフェを出すといったって、食べ物や飲み物を出すにはそれなりの勉強が必要だ。いつ、そんな勉強をしたのだろう。佳子の心の疑問に答えるかのように隆は続けた。
「この二年間ほど休みを利用して、コーヒー豆の焙煎の仕方やケーキの焼き方なんか勉強してきたんだ。週末だけの店だから、君がいなくても僕は全然大丈夫だよ。お互い、好きなことをやるのが一番だよ。花壇の手入れだってずっと僕がやっているし、君は土いじりとか接客とか嫌いじゃないか、子ども相手の仕事がずっとやりたかったみたいだから」

 もしかして、義母を施設に見舞いに行った日もそうだったのか。
 この人にとって私は結婚という生活には必要な役割ではあったのだ。でも、子どもが巣立ち、仕事も無事に勤め終えようとしている今、私などに心を留めてはいない。考えてみたら、私も夫が書斎でいつも何をしているのか、停年になったらどうしたいのか、そんなことにも無関心だった。隆に女がいるのではないかさえ。
 夫もまた、私の生き方を束縛しようとはしない代わりに、私に関心もないのだ。私たちはそういう意味で全く似た者同士だ。だから、我々はそれぞれの方向に歩いていくことになるだろう。この家は隆の実家だし愛着の庭もあることだし、そうなると私はこの家を出ていかなければいけないかもしれない。
 この世界で自分の居場所を得ることは本当に大変なことだ。もしかしたら、私たちは、そのために一生を費やして終わっていくのかもしれない、と思った。
               了

 
 

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