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忍び寄る影に僕は何度も真夜中に目を覚ます

 美味しいディズニーシー、ディズニーオイシー。なんつって。おい、そんな目で俺を見ないでくれ。



朝起きれなくてゴミが出せない!

 もう生活がめちゃくちゃだ。朝、当然のように起きられない。最後に午前中に起きたのがいつか思い出せない、永遠に眠っていたいと考えている。

 朝、起きられないので、ゴミを出せない。ゴミを出していい時間って、終わるのが早すぎる。社会って、朝方の人間向けに出来ている。まったく、ふざけるのもいい加減にしてほしい。

 夜中にゴミでも出してやろうか、いいや出してやらない。最近はもう、夜ふかしして気づいたら東の空が白みだしている時にしか、ゴミが出せない。朝に起きることは不可能だと判断したので、夜を伸ばしてゴミを出してやることにしている。

 朝ごはんを食べたい。朝ごはんを食べれるような生活を送れたら、この、心の中でわだかまっている不吉な感情が、どこかに消え去ってくれる気がする。でも私は朝に起きるなんてことはできなくて、お金も無いので、朝ごはんを食べることができない。笑止千万。

 この前、久しぶりに緑色の野菜を食べた。いつぶりか分からなかった。ほうれん草と、帆立と海老のバター炒めを作った。ほうれん草って葉っぱしか食べられないと思って、茎の部分を捨ててしまった。あとで調べてわかった。私は無知で、無知は愚かだ。

 全ての物事の中で、生で食べられないものに充分に火が通ってなくて体調を崩す、ということが一番怖い。帆立と海老に充分に焼き目がつくまで炒めていたら、ほうれん草が陰毛くらいチリチリになっていた。

 今月は、ギリギリ足りなくて、家賃を払っていないので、お金に嫌に余裕がある。こんなにお金を自由に使えるなんて素晴らしい、家賃を払わないでずっと生きていきたいと思った。

 来月の私が二ヶ月分の家賃を払わないといけない。でも、来月も払える気がしません。大家さん、本当にごめんなさい。再来月には払える目処が立っております、俺、まだまだ払えます。払わせてください。



コース料理で終盤に肉とかご飯が出てくるの、合ってるのか?

 コース料理が大の苦手である。冠婚葬祭とか、老舗の旅館に行くと出てくる、コースの料理。自分のペースで食べられないのが苦手だし、量を調節できないのも泣いてしまいそうだ。全ての会食がビュッフェ方式ならいいのに、と思ってしまったりもする。

 特に気になるのが、コース料理の終盤、最後の最後で、肉とかご飯が出てくる点である。その香盤、本当にそれで合ってるのか?ご飯が出てくる時点でお腹がいっぱいである。もう、はちきれそうだ。

 前半にサラダとかスープが出てくるのは分かるけど、いつまで経ってもお肉やご飯が出てこない。よく分からない魚介や何かを食べ続けていたら、やっとお肉が来て、時すでにお腹がいっぱい。どうしてそうなっちゃうんだ。演出家は食事初心者なのか。

 ビュッフェはビュッフェで困るのが、もう本当に私はお皿に料理を盛り付けるセンスがない。“センス”というものが、毛頭ない。3×3に区切られたお皿があるとしたら、そのうち二つくらいは嬉々としてミートボールを盛り付けてしまう。

 そのまま、このビュッフェじゃなくても食べられるような、玉子焼きとか、からあげとかを盛り付けて、しまいにはカレーなんかも持ってきてしまう。ビュッフェでカレーを持ってくるやつが一番愚かなのは明白である、私は極めて愚かだ。

 ビュッフェに放たれて、すれ違う友だちに、それどこにあったの、とか、それ取っちゃうよね、とか話すのが好きである。とても、好きである。どこかに泊まった時の朝に飲むオレンジジュースが、最もおいしい。

 


洗濯物は使いたい時に取り込むことにしている

 洗濯物は使いたい時に取り込むことにしている。面倒くさいので、基本的に干しっぱなしである。洗濯って、洗濯物を洗濯機に入れてボタンを押すまでは楽しいのに、それを物干し竿にかけるのは非常に面倒くさい。取り込むのは更に面倒くさい、あまり人間を舐めないでいただきたい。

 洗濯機からチマチマと服を取り出して、セコセコと洗濯ばさみに取り付ける自分は、傍から見ると滑稽である。乾くまで待つのも意味不明である。夏の洗濯って俺、好きなんだよね。干したら直ぐに乾くじゃん。全ての季節が夏に統一されれば万事解決、それでいいのである。

 同じような現象に、安い納豆ほどフィルムに張り付いて取れない、というものがある。本当に安い納豆ほど、フィルムに張り付いて取れない。最後まで食われまいと逃れようとする。今度、値段との相関性を試してみようかとさえ考えている。

 ひきわり納豆って、誰が好んで食べているんだ?普通の納豆が売ってない時に、仕方なく買ってしまうのがひきわり納豆だろう。なんならひきわり納豆しか無かったら、私は買わないかもしれない。

 誰が好んで食べているんだ?で思い出したけど、木綿豆腐って誰が好んで食べているんだ?全ての豆腐って絹豆腐でよくないか?いや、よくないことくらい分かっている。分かっているけど、説明されないと分からない。

 どんな料理に木綿豆腐が使われているんだ。と、思っていま調べてみたんだよ。そしたら豆腐ハンバーグに使うのがいいって書かれてるから、本当に驚いた。俺、今まで豆腐ハンバーグ作る時、絶対に絹豆腐で作ってたんだけど。道理でパン粉をいっぱい使わないとカタチにならないわけだ。自分、泣いてもいいですか?

 キャベツの値段が、一個百円を切ってる時は心が踊り散らかす。いますぐ万物にキスして求婚したいと思ってしまう。レタスってどうやって食べるのが正解なんだ?サラダ以外でレタスって使い方が分からない。

 なんで普通の玉ねぎよりも、皮を剥いてある玉ねぎの方が安いんだ。皮を剥く手間を考えたら、金額が逆じゃないと納得ができない。西友とかいう、なんでも揃ってる上に、二十四時間やってるイカれたスーパーマーケット。西友が無かったら守れなかった命は、少なくないだろう。

 引っ越してきて半年、台所の周りに新たにコンセントがあることを発見する。今まではレンジを使いたくてもプラグが届かないので、台所の下のなんか配線が繋がってるヤバそうなコンセントに、無理やり挿していた。これで簡単にモノを温めることができる。生活に新たに彩りが生まれた。何でも温めてやる。


 

母校の制服が変わったらしい

 高校時代の唯一の友人から連絡があって、母校の制服が変わることになったらしい。私の母校の制服といえば、男子が学ランなのはともかく、女子は上下、原色の青色で、とにかくダサいことで有名だった。街中の雑踏で見かけても、あ、ウチの学校の女子が居る、と分かるくらい目立つ青色だった。

記憶を頼りに母校の制服を描いた絵

 この青色のスカートに発情していた頃が懐かしい。調べてみると、本当に母校の制服が変わるらしい。男子はブレザー、女子もよく街中で見かけるようなお洒落な制服になるらしい。

 自分の頭の中の「青春」が、そのまま頭の中にだけ残り続けることになった。街中で青色のスカートを見ることは金輪際、無くなった。あの薄汚れた校舎には無骨な学ランが似合うと思うし、学校の前にある、あの割れたコンクリートの坂道には、青色のスカートがよく似合うと思う。現実はどんどんアップデートされてゆくのに、私の中の十七歳の私だけは、ずっと歳を取らないまま学ランを着ている。

 また、そんな会話をしていたら、高校の友人たちと久しぶりに会うことになった。当時の私たちは、クラスの中心ではしゃいでいる運動部を嘲笑うことに命を賭けていた。女子の尻を追いかけ回している陽気な奴らを心底見下していた。教室の隅にすら居場所が無くて、昼休みに体育館でバスケットボールをやることだけが一日の楽しみだった。モールス信号で意思の疎通を図り、授業中に密かに将棋やトランプに興じ、時代や権力を恨んだ目をして、斜に構えながらも自分たちの存在を認めてほしいと叫んでいた。

 今では、私も彼らも丸くなって、最近聴いている音楽の話くらいしかしなくなってしまった。母校の校歌も思い出せない。老いることはうつくしいとは思うが歳はとりたくない。





小林優希

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