お金という存在②

表のある場所には、裏がある
光ある場所には、闇もある
自分にとって都合のいい所だけを見て生きる人間は生きやすく
あえて都合の悪いものを見ようとする人間は生きにくい

光(表)の世界に住む存在が
闇(裏)の世界を知り見ようとすれば、
あまりの悲惨さに心は荒み病んでいくかもしれない

しかしこの与えられた思考の力で
多面的に世界の物事を捉える事が出来るようになれば
恐れからくる過剰な自己防衛が解かれると同時に
目の前の物事を受け入れ「さて、自分はどうするべきか」と
思えるだけの余裕と

豊かさのために「無視されている存在」に関心を持ち
手を差し伸べられるだけの勇気を持つことが出来る

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自分の周りにある豊かさがどのようなものによってつくられているか
当然のようにそこにあるものが、どのようにして、そこにあるのか

光の当たらない闇の部分、表からは見えない裏の部分について考えると
「犠牲」と「生贄」と「屍」の上に立っている自覚が芽生えてくる

次にお金という存在や、社会のシステム、
この「現代文明」そのものに疑問がわいてくる

お金はどんな存在がどんなことを目的につくったのだろうか
現代文明はどのようなものだろうか
本当に人間(地球人)だけで、このような文明がつくれたのだろうか

もし、人間ではない何者かが
この文明を設計したというのなら
どのような結果を求めてこのように設計したのか?

聖書に登場する「へび」は
甘い言葉で人を誘惑したというが


俺はこの「物質的豊かさを追求する現代文明」に「へびの誘惑」を感じる

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