Forked road 36/41

金沢の老舗高級料亭旅館「大松」の東京進出第一号店渋谷店が盛大にオープンした。
マスコミでも取り上げられた美人過ぎる板前「まつゆい」(松本結花)の名はすでに東京でも有名でむしろ「まつゆいと会える東京の店」として料亭業界はもちろん、マスコミ各社からも花輪が店先に並びきれないくらい届いていた。
社長の思惑も「まつゆい」人気を利用し利益に結び付けたいと考え裏方に徹する板前ではなく料理を監修し店全体を運営する店長として結花に加賀友禅をまとわせ最前線に立たせ客の接待役をもやらせようとしていた。
しかし、結花はあくまでも板場を預かる者として店の発展に貢献したいとし加賀友禅を着て表舞台に立つなどは無理だと社長の要請を固辞していた。
オープンパーティー会場には社長、そして息子の次期社長である専務の松永大作ともちろん結花も板前姿でオープンを盛り上げようと招待客に必死で慣れない挨拶回りをしていた。
開店から一週間が過ぎて嵐のような騒ぎは一段落着いた。
午前二時には全従業員が引けた。
板前の白衣を脱ぎ私服のクリーム色のひざ上5cm丈のワンピースに着替え後頭部に団子を作りまとめていた髪を解くとまっすぐな黒髪は胸まで達していた。
板前姿とはまったく違う花の香りまでするようなファッションになり24にしては26、7のような貫禄までも漂わせるいい女ぶりを発していた。
帰り支度をしていた結花が背中に気配を感じて振り向いた。
結花は泥棒でも見たように小さな悲鳴を挙げてしまった。
「脅かしちゃったか? お疲れ様、」
「あ、専務、先に帰られたんじゃ?」
「いや、ちょっとね、」
専務兼本店板長の松永大作の笑顔が顔面蒼白で引きつっていた。
まるで殺人でも犯して来たのだろうか?と結花は思った。
8年前、結花が16で「大松」に板場修業に入った時、松永大作は28。
社長兼花板である父・一雄の右腕としてすでに板場を取り仕切っていた。
大作は物心ついた時から大の父親っ子でいつも父親の跡をついて回りその父親の仕事である板前と言う世界にもいつしか強いあこがれを抱いていた。
高校卒業と同時に本格的に板場へ入る。
独立した兄弟子と二人三脚で料理の研鑽を積み下ごしらえから野菜の取り扱い、煮方、焼き方、御造りと何でもこなし結花が入って来た頃には仕入れから価格設定まで任されるようになっていた。
当然、結花にすれば話しかけることなど出来ない「イタチョウ」の存在であった。
しかし、その結花も3年ほど経つ頃から板場の主要な役割を任されるようになると本店板長である大作とも会話を交わすようになって行った。
とは言っても話す内容はその日の段取りや予定の確認だけで結花がおかしいと思っても板長の意見には逆らえず「はい」としか言葉を発することの出来ない関係に変わりはなかった。
専務板長松永大作からすれば結花は16の時にフラリと入って来た不良少女でいくつになろうが偉くなろうが出世しようが「マツ」と呼び捨てる子ども扱いでちょうど良い存在のままでそれ以外の接し方は必要ないし思いもつかないと思っていた。
そんな専務板長松永大作はけっこう「マツ」のことを気にしていた。
しっかり仕事をしているか? 
壁にぶち当たっていないか? 
悩んでないか?
直接「マツ」に声を掛けることは年に一度くらいしかなかったが可愛い新入りとして気には掛けていた。
板場で話す専務松永大作と結花はそのまま親方と若い者として自然に話せるのだが板場を一歩出るとトタンに松永大作は結花を一人の女として意識してしまうのである。
子どもの頃から料理ひと筋で来た大作にとっておよそ女性と話すのは仲居くらいなもので話しの内容は料理のことだけ。
一般の女性とは話したことが無い料理の英才教育しか受けて来なかったマジメくんならではのハンデだったのだ。
そんな大作が板場以外で結花に話しかけると意識し過ぎてしまい表情も強張って、まるでナンパに挑戦している童貞のような話し方になってしまうのだった。
本人は自然に話そうと努力しているのが結花にも伝わり返って結花自身も身構えてしまうのが常になっていた。
「二人の時はダイさんでいいんだよ。」
いつになく大作の表情は固かった。
結花はあの話しの為に残っていたのか?と思った。
「この後、予定ある?」
大作の声が震えているのが結花にもわかった。
結花は正直に答えた。
「疲れているので早く寝たいと、」
「そうだよな、悪い、」
二人は店の戸締りをしエレベーターに向かった。
肩を並べて靴音しかない通路を歩く。
「あのさ、若いヤツらもっと強く言ったっていいんだよ、年が近いからって遠慮しなくていいと思う。」
「はい、強く言ってます。」
「あ、ならいい、、」
その後、専務のため息がハッキリと聞こえた。
しばらく無言の時間が過ぎた。
「あ、それとさ、プライベートな話題で悪いんだけど、この前の話しどうかな?」
結花は来たと思った。
「結婚の話しですか?」
「あ、まあ、」
「今は修行途中ですし、渋谷店を成功させなきゃって思いで頭の中いっぱいで、」
「そうだね、だけどさ、結婚して二人で支えて行くって言うのはどう?」
専務松永大作は笑顔だったが目は血走っていた。
結花は微笑したが答えなかった。
二人は肩を並べてエレベーターのランプを見上げていた。

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