ポリアモリーな私の愛のかたち
人たらしと言われる。相手が家族でも友人でも、好きな人にはとことん全力。人が好き。いろんな個性を持った人々と関わって、心を通わせるのが好き。その人が考えてること、その人の見ている世界に触れていること自体が楽しくて、ワクワクする。こんなふうに考えてるのか!という好きな人についての新たな発見が、もうたまらなく好き。
わたしは、いろんな人のいろんな話を、結構ニュートラルに聞けてしまう。際どい話や闇な話もわたしにとっては大好きなその人のある部分、と思う。そうかそんな面もあったのね、と受け止めて、その他の部分も含めた複雑なイキモノであるその人そのものに思いを馳せる。そしてますますその人が愛おしくなる。
人はこうあるべき、というのが少ないのかもしれない。誰かがびっくりするような性癖を持っていても(公序良俗に反するのはだめよ)、びっくりするような暗い過去を持っていても、複雑ないろんな面があって、諸々の場面で様々なペルソナをかぶりながら生き抜いてきているそのことに、わたしは敬意と愛おしさを感じる。
人間らしく悩みながら、考えながら変化していくその姿が、わたしの励みになる。限られた人生の時間に向き合っているその稀少さに、心が動かされる。そういう人間の姿に、わたしは心底惚れ込んでいる。
一方、わたしはひとところにとどまるところがない。様々な人と濃い経験を重ねながら、太く生きている。だから相手一人一人から見たら、私は忙しいハチみたいに見えているかも知れず、でも軽々しく飛び回っているというより、会うたびにすごいエネルギーを交換し回っているように見えているのかもしれない。恋人には、とても自立したパートナーに見えているかも知れない。
愛は無限で自由なもの。そして、愛を感じ合うことは何にも勝る生きる喜び。だから、私は大好きな人に囲まれて生きていきたい。私も精一杯大好きなひとりひとりを愛したい。愛する人が1人だけでもいいのだけど、複数いてもいい。その時その時で最高な愛の交換をし続けたい。
愛する人には、私と過ごす時間は100%私を感じながら過ごしてほしい。私も100%相手を感じたい。心に触れ、体に触れ、私を知ることや、共に何かを感じることや、私と過ごす時間を100%味わい尽くしてほしい。それをわたしは愛情と感じる。
愛する人には、私の存在に不必要な制限を受けず、自由に、愛情を与え、また感じながら、生きていってほしいと願う。相手は100パーセント私でなくても構わない。その人にとっての最高の人生にしてほしい。
これが、私の愛のかたち。
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