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貞節、愛

 京アニの劇場版ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンが公開されてますね。公開初日の最初の上映を見に行ってきました。書きたいことはあっても感情のるつぼから取り上げてどんな言葉を添えてこれを表現するのが一番感情に偽りなく向き合えるのかすごく悩みました。映画のネタバレは特に書くつもりはないですけど、もしこれ見てから見に行く方に一点、涙腺は開始早々緩むのでそこだけわかって見に行ってください。それから私の特典短編はオスカーの物語でした。

 さて、ネタバレは特に書かないけど、アニメ見て、原作4冊とも読んできて、昨年公開された永遠と自動手記人形の方も半分くらいまでは見てから今回の新作見に行きました。

 原作とアニメだと、暁佳奈さんの言葉を借りるなら物語の系譜が違います。ホッジンズや彼の会社に関する設定がいくつか違ったり、原作では言及されてなかったヴァイオレットの同僚であろうドールの存在がアニメでは描かれてたり、時系列が異なったりといろいろ違います。アニメ版でラックスいてほしかった~。あ、無視できるほどのことしか書いてないですよ。

 そこはいったん置いておいて、小説とアニメでここまで結果が違ったのは元をたどればほんの些細な事なのかもしれません。運命の神がサイコロの目を一つたがえた程度のそんな差です。それはネタバレなので気になる人は一通り作品に目を通してください。でも、ここまで乖離が発生してしまったのは、世間の言葉を借りるならバタフライエフェクト効果とでもいうのかもしれません。故にディートフリートの性格もあそこまで違うし(ヴァイオレットに対してはもはや他人か?と言いたくなる。)、軍内部で動ける人間も大幅に変わってくるし、それこそ物語がパラレルワールドになるほどなのかもしれません。

 後一点あげるとすれば暁佳奈さんと京アニさんの脚本の違いですかね。小説の完結編のラストと今回の映画のラスト、小説の中の永遠と自動手記人形と映画の永遠と自動手記人形、比べてみて思ったことが一点あるんですよ。暁さんは最後は含みを持たせる書き方をしている印象があります。例えるならキャンバスに描いた絵にわざと空白の部分を残して、そこにどんな色が入るのかは見てる人にゆだねる。そんな気がしてます。でもアニメになるとそこに入る色を入れている印象があるんです。、、、うまい表現できてますかね?どっちも正しいと思うし優劣つけるわけではないんですけど私は暁さんの表現が好きですね。それゆえに映画版の永遠と自動手記人形まだ見終わってないんですよね。ヘタレです。京アニがどんな色を塗ったのか見たいような気もするし見たくない気もする、そんな葛藤があるんです。でも最後は見る気がします。だって京アニの作品だから。

 劇中でヴァイオレットが「美しい」の言葉と逢えたように、「愛してる」の意味も分かって行けたように、そんな人生の何かひとかけらとなる作品だと思っています。故に持っている小説は一生手放せないそんな作品になっていると私は思っています。今の私にはまぶしすぎて直視できないかもしれない。でもどこかでちゃんと全てを見れるようになりたいと思う。

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