こんにちは、ないとぅーんです。
今回は去年の11月に出場した第68回文部科学大臣杯全国青年弁論大会と尾崎行雄(咢堂)杯演説大会in相模原を振り返ります。
この二大会は今までの私の畑であった「大学弁論」とは違い、一般的には「社会人弁論大会」と呼ばれる大会です。
大学弁論が大体10分演説して、15分間の質疑応答があるのに対して、この2大会は、質疑応答の時間も設けられないまま、たった7分間で演説をしなければいけません。
文字としては、たったの2000文字。
この7分間で伝えきるために原稿を何十回も書き換えました。
さて、今回のテーマは「多様性社会」でした。
「多様性社会」という言葉、最近結構聞くようになりましたね!
じゃあ、聞きますが、「多様性社会」ってどういう意味ですか?
どんな社会が多様性社会を体現した社会なのでしょうか?
私の問題意識はここにありました。多様性社会という言葉を使うのは簡単だし、何か自分の知らないことがあれば「今は多様性の時代だもんね~」で済ませられる、とっっても便利な言葉です。
でも、便利だからこそ、その意味を深く考えることなく私たちは濫用しすぎていないでしょうか。
確かに、物事を理解するという事は、少なからずその対象を区別するという事です。「区別する」とはその対象に「多様性」や「マイノリティ」というラベルを貼るということです。ここまでは確かに自然な事ですが、
その区別にどのような価値が伴うかを自覚しなければ、それは簡単に「偏見」や「差別」へと転落します。
じゃあ、私たちは社会の「マイノリティ」や「多様性社会」という言葉の意味をどのように捉えればよいのでしょうか?
続きが気になる方はぜひ原稿を読んでくださいね。
(個人の特定を防ぐため、一部原稿を当日の物から編集しています)