第一話 腐敗

「僕は、守られてきました。いつから、何に、なぜ守られてきたのは分かりません。僕はもう守る側なのだと錯覚してきた頃、僕はそれが間違いだったと気付かされました。あの時の僕が守れたのは、大切な人ではなく、僕自身だけだったんだなって思います。」

重々しくやっと開いた口から発せられた彼の弁明は、1読者からすると非常に抽象的で、自分と関係のない人間の罪に対して異常に執着する人々からしたら直接的な、目に見えて考察出来る謝罪がないことに憤りを感じるだろう。しかし、私には少しだけ彼の心境が理解出来た。最も、日本中を震撼させたこの男の心境を理解したなどと発言すれば、私の立場は保証されないのだが。

「守られていたとは、親御様に生まれてからあの時まで守られていたという認識では間違っているのでしょうか。」
私は彼に同じ話題を軸に聞き返した。
「そうですね、そうなのかもしれません。両親はすごく良い教育を僕たちに提供してくれたし、優しくて僕たちの主張も聞き入れてくれました。しかし僕にはもう分かりません。あなた達は僕の生い立ちを探ってその心理学に活かしたいのでしょうが、僕にはお役に立てそうにないです。立てる立てないではなく、義務だと言う人もいるでしょうが、無理なものは無理なのです。被害者のご遺族様には最大限の償いを続行する所存で御座います。ここで繕ったことを話せばあの方達にもご不快な思いをさせますから、ノーコメントで。」

私は彼なりの「ノーコメント」に誠意を感じた。ここまで言われては今回は問いただしようがないだろう。
「承知致しました。今日は帰ります。お忙しい中ありがとうございました。」
これ以上は失礼に値する。私はジャーナリストながらも、情報を得るためには提供者との快い関係を絶対に崩さない。これを念頭に置いてこれまで仕事をして来た。そのスタンスを変えるつもりはなかった。

「……はい。」

先ほどの私を帰すための饒舌な主張とは裏腹に、私を見送る彼の態度はすごく冷淡で、『今日は』帰りますという発言に不満があるのが分かりやすく感じられた。最早私に間接的に察してもらおうとしているほどに。私はそれを察しながらも、諦めるつもりはなかった。それは単に仕事だからということではない。【あの事件】を追って、全ての真相を解明することが私の生きる意味なのだから。

彼の家を出て少し歩く。久しぶりに東京から地元である福岡に帰って来ていたのは、彼と接触して話を聞くためだった。久しぶりに母校の中学校の近くに来てみた。本来ならば勝手に学校に入ることは出来ないだろうが、とっくに廃校されていたので、私は私が通っていた頃の体育館裏に足を踏み入れた。

思い出される苦い過去。いや、あれから今日に至るまで一度たりとも忘れたことなどありはしないが、その場に立つと言葉に出来ない腐っていくような感覚に襲われた。空は青い。雲も白い。なんて綺麗な世界なんだろう。私が廃れても、恐らくこの世界は何も変わらないだろう。いや、むしろ綺麗になるんだろう。
 
そう心の中で感情に浸っていると、私は全身が血が腐ったような色に染まっていく過程に自分で気付くことが出来なかった。気付いた頃には足元から顎までが腐り切っていて、口にその感覚が到達したところで無理矢理にでも気付かされた。
「あ…な…」
何かを言う暇もなく口も血腐った何かに侵食されたところで私は死を覚悟した。

これが私の運命、汚い人間世界は私を貶めて、救った。しかし最後にはこの綺麗な世界そのものが私を裁いた。「どうせ死ぬなら、何のために兄さんは…」
そう思ったが、考えるのをやめた。全身が血腐り体が熱くなって来た私はもう寿命が1分もないことを感じた。私は探した。最後の1分で実現可能な最大限なこの世界へのお詫びを。
見つけた。いや、思い出した。
私は全速力で体育館裏だった場所から学校を飛び出し、学校の近くにあった公園に駆け込んだ。ここは今でも残っている。そこのトイレの裏の雑草だらけのスペースで叫んだ。
「助けてワルちゃん!」

その瞬間、約束通りワルちゃんは現れた。そして私に何も聞かずに、無表情で例のものを渡してくれた。

「ありがとう、ワルちゃん。本当にありがとう。さようなら。」

私はワルちゃんに最大限のお礼を言うと、血腐った全身で思い切りそれを抱きしめた。

「ごめんね、ごめんね。こんなところに、何年も。私、弱かった。本当に。」
泣きながらも死にそうな身体を震わせてせめて最後に私の罪の決算をしようとした。

血腐ったドロドロが心臓や脳にまで到達し、私はいよいよ死ぬと分かった。しかし死ぬ本当の直前に私はあり得ないものを目にしてしまった。生きて、立っている。当時のままの、幼くて可愛い、今すぐ撫でてあげたい私の大切な人が。

「ああ、そうだったんだ。ワルちゃん、これが君の言ってた秘密だったんだね。ありがとう。許さない。」

私は死んだ。人生最後の感情が憎悪だなんて、サイテーすぎるよね。

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