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宗教と農耕民族

皆様こんにちは、加藤です。さて、質問ですが、日本人は農耕民族でしょうか?それとも狩猟民族でしょうか?正解はさて???

正解は、いまだに狩猟民族の血が残っているということ。その大きな理由としては、農耕民族としての歴史がたかだか2000年ほどであり、我々の身体自体は狩猟民族の血を受け継いでいるのです。

そして、旧約聖書に出てくるのは家畜の話や羊の話、小麦の出てきております。また、一神教においては、神はひとつしかおらず、偶像の中に存在しており、場合によっては戒律もかなり厳しい。。。。

それに対して、海の幸、山の幸が豊富な日本はいかがでしょうか。とても、八百万の神々がいるとさえしております。

もちろん、昔の農民の生活に対しては、キリスト教は適応しやすいのかもしれないです。また、農家をやられている人は特にその影響を受けるでしょう。文明の発展には、それぞれ優れた農耕民族、都市文明が存在し、必ず宗教が存在したのです。

よく欧米は、狩猟民族という方がいらっしゃいますが、個人的には半分合っていて、半分間違っているように感じます。欧米系特に、アングロサクソン系は身なりや元々備わっている機能としては、狩猟民族といえますが、やっていることに関しては、狩猟民族に近いと言えるのではないでしょうか。

ユダヤ系の人々が優秀と言われる所以としては、農耕民族に適した知恵携えたタルムードを読み、為替や利子といった考え方を生み出しました。また、彼らの聖書には文明や農耕を行う上での知恵等を読み込みそれらを実践しているのです。そして、神のもとどうすべきか?生産した一部をどのようにささげるのか。それぞれの日をどうすべきなのか。日々を分けて、それぞれ何をすべきか明確にしているのです。そして、ばらばらの神ではなく、一つの神のもと計画的に行動することが求められているのです。

それに対して狩猟民族はどうでしょうか?彼らは基本的に今ここにしか生きてないのです。そして、常に狩りを楽しみ、貯金は全くしません笑笑

とったものをその日食べ、何かとれば分け合うことができます。独り占めしようもうなら、誰もがその人から離れていくのです。つまり、何も持っていないけれども、一番与えているからこそ、一番人が寄ってくるのかもしれないですね。

この考えかたでは、ある意味ストレスや鬱病に悩まされることはないです。いま、ここにしか生きてないので。。

ただ、残念ながら我々日本人の都市圏あるいは、あらゆるところで欧米文化や考え方が取り組まれています。しかし、それらの起源やその中でどう幸福に生きていくか、その術を知らない。

特に日本の場合、儒教文化や仏教文化がとても強い。

特にスポーツの世界では、その差が顕著に表れるのかもしれないです。サッカーというスポーツは、特に意外と農業と親和性が高いです。

引退後、サッカー選手がよく農業を始める人が多いですが、それも納得できます。特に、監督がいてその元にそれぞれが役割を果たす。リーグ戦で何度も行い、計画性を持って選手を育てなければ、試合ができない。やっていることは、とても狩猟っぽいですが、それが発生した国では、キリスト教圏の国がほとんどです。

南米は、カトリック教、欧州はキリスト教ですかね。

自分はサッカーの指導を行っていますが、キリスト教圏の新約聖書を知っているからこそ、ある意味世界標準でヨーロッパのサッカー観を受け入れることが可能なのですが、それを知っている知らないでは大きな差が出ている形になります。なぜなら、神に繋がっている選手たちはメンタルの影響としては横の繋がりがとても強く、先輩、後輩など気を使わなくてもいい。

元々狩猟民族の生活様式であれば、その考えでも良かったのかもしれないのが実際には、現在農耕として我々は生きている。そのために必要な倫理観や宗教観というものが存在するのだが、表面的な部分のみ日本では受け入れ、聖書をしっかり読まずに彼らを理解しなかったことは大きな弊害といえるだろう。特に人のマネジメントの部分もそうであるが、文明を営むのであれば我々は神を知らなくてはならない。そうでなければ、人々の精神状態がおかしなものになっていくのだ。

個人的な考えとして、分析するのであれば自分自身として狩猟民族であることが手に取るようにわかる。米や炭水化物はそれほど好きではないし、肉や魚のほうがどちらかといえば好みである。

炭水化物や甘いものはどうしても苦手なのだ。今この瞬間を生きていることに安堵間を感じるしできる限り、ものをもたずぶらぶらとする生活が気に入る。自分自身の母方のほうは、新潟出身の家計のため、貯金はして堅実である。

自分自身は、一日3時間ほど働いて、あとはナッツ類や果物、鶏肉類を食べて生活するのが性に合っている。

ふと感じてしまったのだ、一日3時間も働く必要があるのかということを。
我々の労働時間は、一日3時間だけあればいい。

それ以外は、健康に気を使った生活をしていければいいのだと。
旧約聖書においては、産めよ増えよと記載がある。

確かに増やすことは、決して悪いことではない。けれども、我々が山を降り、野原を駆け回っていた狩猟民族の血を濃く受け継いでいることを忘れてはならない。

もし、そうであれば、我々の根本的な身体の根源を知らずに生きていくことはとても難しい。

私たちは人である。そう人なのだ。。。狩猟民族なのだ。ものをもたずにシンプルに生活する。

そしてもし、農耕的な仕事を選ぶのであれば、ユダヤ教や聖書を読みその真髄を知らなければ、人の本来持っている能力を無視することになる。

我々の欲をもつことは悪くないそれは元々人に備わったものなのだから。
だからこそ今必要なことは、もう一度狩猟民族であることを思い出さなければならない。ひとがひとであるためにも。

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