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2014.3.31 ANA B747-400D

前置き

2014年3月31日、桜が満開の街を背にひたすら駅に向かって歩いていた。大学進学のためである。しかし、その目的だけにしては少し早い時間にすでに外に出ていた。もう一つ目的があったのである。

―ボーイング747-400DのANAでのラストフライトを目に焼き付ける。

ニュースでも、伊丹へのラストフライトが大きく取り上げられるなど、何かと話題になっていたANAからのジャンボジェット退役(参考)。1970年にJALが導入してからから44年ほど日本の空を支えた存在が国内航空会社の旅客便としてはまさにこの日が最後の仕事になった。
*貨物専業の日本貨物航空は最新型のB747-8を導入して主力機として使用している。

2012年夏 羽田にて

私自身も何度も乗った飛行機、それこそ進学先の大学のオープンキャンパスに行くときに乗ったのも外ならぬB747-400Dだった。この翼で飛んでいなければ、この日も羽田に行っていたかはわからない。やや極端に言えば、そういう存在の飛行機なのだ。
そのような思い出を思い出しながらB747-400Dのラストフライトの時刻表を見ると、羽田に到着する時間は自分が乗る便の少し前。特に何も考えず、運賃の安い便を取った後だっただけに、偶然にも巡り合えそうになったことに思わず興奮する。
「ならば最後の活躍を目に焼き付けてから旅立とうじゃないか!」そう思った私は冷静に考えれば全くもって急ぐ意味はないのに、さっさと家を出て行ってしまったのであった。

羽田空港

正午少し前に羽田空港に到着する。ちなみに自分が乗るフライトは16時ごろの出発だ。時間をここに書いてみて改めて思う。いくらなんでも気が早すぎる。
スーツケースは邪魔なのでさっさと荷物を預ける。いくらせっかちだろうとなんだろうと腹は減るのでひとまずお昼ご飯を食べに行こうとしたら、到着ロビーのテレビで「笑っていいとも!」の最終回がちょうど流れていた。そういやこっちも今日が最後だ。何かと終わりというものが重なるのがまさしく年度末なのだと言うことを感じさせられる。

お昼ご飯は済ませたものの、当然時間は有り余っている。暇潰しがしたい。が、その方法はそこまで迷わない。足は勝手に進んでいく。

風に吹かれながら展望デッキに出ると、羽田では圧倒的に少数派のプロペラ機が支度中。これまたこの日がANAでは最後の日であるDHC-8 Q300である。羽田から伊豆大島と三宅島への便で使われていたが、この日の三宅島線が最後となった。さらには羽田~三宅島線自体もこの日が最後であった。しかし、この数時間後に来る「大物」に対する熱狂とは対照的な雰囲気となっており、熱心なファンが一眼レフカメラでひたすらその姿を捉えるのみだった。間違いなく大きな役割を果たした機体であったが、どうにも「主役」の前座のような最終日を迎えていた。
なお、このQ300はこのあと三宅島へ向かって飛んで行ったが、火山ガスの影響という全島避難指示の解除後ずっと悩まされてきた理由で羽田へ戻ってきた。この路線そのものの晩年を象徴するかのようなラストフライトであった。

展望デッキにいるうちになんだかんだ時間は潰せたので、保安検査場を通って制限エリアへと向かう。年度末でもあり、春休みでもあるので少し混んでいた。搭乗口は保安検査場からやたら遠いところであった。心の中で舌打ちしながら通路を歩く。
ふと窓の外を見ると、B747から子供たちの人気者としての任務を引き継いだB777が次のフライトの支度中であった。
搭乗口付近にたどり着いたのちは、自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、主役が来るのが先か、搭乗時刻が先かひたすらにらめっこしていた。この時間が長かったのか、短かったのかはもう記憶にない。

「主役」の登場

那覇から飛んできたB747-400Dが到着する時間が近づいてきた。待合室の中から見えるC滑走路の方を見ていたので、着陸する方向こそおおよそわかった。しかし羽田に4本ある滑走路のどこに降りるかはわからなかった。「降りてくる滑走路はおおよそAかCだろう」とは思ったが、それでも2択だ。つまり、どこから姿を現すのか全く分からない状態だったのである。とりあえず見える範囲をきょろきょろする。傍から見たら怪しい人であることに疑いはなかったであろう。でも、そういう「怪しい人」、待合室の中に何人かはいた気がする。

少しばかり怪しい行動をしていると、都心のビル群を背に「主役」がその巨大な姿を現した。

悠々と、でもそれなりのスピードで「主役」はその巨体を走らせる。その足取りは名残惜しさとは無縁の軽やかさで、逆に己の性能を最後に見せつけているかのようであった。
そして、「主役」は一旦視界から消え、「どこへ行くのか」と一瞬思いながら目線を背中側へ向けると...

「主役」はターミナルビルの前をぐるっと一回りしていった。おそらく展望デッキや制限エリア外のターミナルビルの中からでもその姿を拝めるようにしてくれたのだろう。思いもよらぬサービスであった。

ターミナルビルの中の人のその姿をみせつけたあと、「主役」は駐機場まで歩みを進める。そこには乗客を運ぶために集結した多数のランプバス、だけではなかった。
「主役」がやってくると進路の両脇に控える2台の赤い車が放水を始めた。ニュースなどで度々目にする放水アーチがいま、目の前で行われているのである。敬意、歓迎、感謝...色々な想いが込められて、あるいは見る人が乗せていく放水アーチである。この日のそれには間違いなく多くの人のこれまでの想い出も乗っかっていただろう。この瞬間に立ち会えた喜びは何にも代え難い。

放水も終わり、「主役」から乗客が降り始めたころ、自分が乗る便の搭乗案内が始まった。一つの時代の終わりを見届けた後、余韻に浸りながらも足早に私は新天地へと向かうべく搭乗ゲートを通り抜けて行った。

おわりに

今になって何でn年前の話を書き始めたか、という話だが理由らしい理由は特にない。強いて言うならば、記憶が遠くなりすぎてしまう前に一度文字に起こしておきたかったと言うくらいである。わりかしはっきりとこの日のことは覚えていたのだが、それでも細かいところはもうあやふやである。その点は容赦願いたい。

また、この投稿は書き始めてから長期間放置していたので、実際に書きあがったのは2022年3月下旬である。碌でもない遅筆であるが締切がないと如何にだれてしまうか図らずもよくわかってしまった。

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