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今更、北大祭の話

はじめに

札幌の5月から6月は毎週のように大きな祭がある。ライラックまつりに始まりよさこいソーラン祭りに北海道神宮の札幌まつりと札幌の中心部では次々と違う祭が行われる。
そして、よさこいソーラン祭より少し前の6月頭に行われるのが、北海道大学の学祭「北大祭」である。
札幌や北海道を扱ったガイドブックを開けば大体紹介されている北大札幌キャンパスで行われるこの大学祭は毎年のように道内のマスコミに取り上げられている気がする。「北大」という場所や名前と何万人も来場するとされる規模と話題性がそれなりにはあるのだろう。

今年のUHBのニュース映像。結構詳しい。

2019年のHTBのものも出てきた。とにかく消えがちなネットニュースの世界だが、探せば以外に残ってるものだ。

その北大祭に足を運んできた。昔は何かと関わりがあったのだが、今はただの訪問客として。

アメニモマケズ

相変わらず、雨

「北海道には梅雨はない」と言うが、そう言われれば言われるほどいざ雨が続く日々になると梅雨がないことを疑いたくなってしまう。北大祭の時の札幌も梅雨が無いことを疑う天気になることがままあるが、今回もそうであった。一般に屋外での催しに雨は大敵だろう。ただ、降ったり止んだりだったこともあってか歩行者天国となっている道路は人と傘で埋め尽くされていた。その両脇には模擬店のテントが並び、多くの人が呼び込み、呼び込まれている。混み合いながらもある程度は形成されている人の流れにうまいこと乗っかりながら道を進めば、老若男女、前後左右から楽しげな声が至る所から聞こえてくる。この北大のキャンパスは近所の大きな公園とも観光地とも言える一面を有しているだけに、普段から学生に限らず結構多種多様な層の人通り(犬もか)の多い場所ではある。だがしかし、今日は人の数が違う。どこからともなく、色んな人々やってきて、この同じ場所同じ時間に集うのである。この場に来た目的は様々であろう。もしかしたら、目的は無いのかもしれない。恐らくこの場にいる人で共通していることは、北大祭に来ているということ、それだけであろう。しかし、その共通項のみで北大を非日常の装いを纏わせるこの祭の賑わいの一端を創り出しているのだ。

学問と研究と

北大祭は何かと模擬店が目立ちがちである。全長が1.2kmの道路(しかも歩道を合わせても札幌中心部の道路よりは狭いくらいかな)の両脇に街路樹の間を埋め尽くさんとばかりに模擬店がズラッと並ぶ光景はたしかに目を引くものがあり、この祭を大きく印象付けるものである。しかし、北大の本来の姿は学術研究と勉学の場である。そして、その様子は北大祭でもしっかり目にすることができる。

毎年、北大祭期間の土曜日には北大内の研究所が一般公開される。今年は道新やNHKでも取り上げられたようだ。

もう少し近くで撮ればよかった。


例えば、低温科学研究所。北大の中でも名の知れた特徴的な研究所である。ここでは、研究内容の紹介や研究機材の展示のほか、簡単な実験の実演も行われていた。特に実験の実演はお子様方に大人気。研究者や学生の卵が産まれる瞬間を目の当たりにしたようだ。また、ポスターでの研究内容や学生向けの授業プログラムなど研究所の取り組みの紹介も簡潔かつ興味深いものが多かった。ポスター読み込んでいるとどこからともなく、研究者の方が話しかけてくれて、意気揚々と説明してくださる。気になったことを質問していくうちに、少しずつ輪郭が見えていく感覚である。

各学部の学生さんが運営する学部毎の祭が内包されているのも北大祭の特色である。普段講義が行われている教室でそれぞれの専門分野の解説がなされているのが見どころだ。
そういえば、理学祭の展示がTwitterでバズってましたね。それも、ここ。

背景はぼかした。

ド派手なものを例に挙げると、工学部前で行われたロケットエンジンの燃焼実験が挙げられるだろう。研究室の学生さんが制作したエンジンの燃焼実験を行うというというものだが、実に4年ぶりの開催とのこと。ただでさえ長い時間だが、人の入れ替わりが激しい学生という身分であれば大きな断絶とさえいえる時間だろう。学生さんの前説を聞いても、ノウハウに乏しい中での準備であったことがうかがい知れる。

さぁ、もう間もなく実験が始まる。仕切りのコーンとバーの周りには小さい子供から大人までおそらく100人弱はいただろうか?水溜りを避けつつも少しでも近いところで観ようと集まっていた。

轟音に気をつけて、と案内されたあとに気持ち長めのカウントダウンで腹を括る。

3、2、1…

耳に突き刺すような鋭い轟音が鳴り響く。同時にエンジンから炎が吹き出し、煙も上がる。食い入るように見入る人々。手応えを感じていそうな学生さん・・・。
20秒ほどだっただろうか、静けさが再び訪れた。そして、拍手。大成功のようだ。
現場の迫力を乏しい語彙力で伝えたかったが、なかなか難しい。特に、音は本当に難しい。様子を文字や数字や映像で伝えることができても、生身で互換を通じて得る体験には簡単に敵いそうにない。

祭の〆

北大祭のラストを飾る行事がある。応援団による「一万人の都ぞ弥生」である。応援団の校歌や激文の披露のパフォーマンスの後、その場のいる来場者諸共肩を組んで都ぞ弥生を歌うと言うものだ。あなたがシャイか否かは関係ない。気づいたら肩を組んでいるのだ。
この場に本当に一万人いるかは定かでは無い。ただ、相当な人数がいる中で、歌詞も全員が知ってるわけでは無いだろうが同じ歌を肩を組んで歌う一体感は、軽いものでは無い。北大祭にいる以外の共通項がないかも知れない人たちが同じことをする、という年に一度だけの光景。この積み重ねが非日常たる祭を面白いものにしているのかも知れない。一万人の都ぞ弥生はまさにこのことを凝縮した光景なのかも知れない。

※北大の特徴として、校歌より明治45年度寮歌の都ぞ弥生の方がはるかに有名と言うことが挙げられる。

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