画家「塔本シスコ」さんのように、置かれた場所で咲いていこう
「置かれた場所で咲きなさい」
この言葉に聞き覚えのある人は多いのではないでしょうか。
2012年にベストセラーになった故渡辺和子さんの著書のタイトルです。
シスターでありノートルダム清心学園理事長であった渡辺さんですが、幼少期の辛い体験をはじめさまざまな苦難に直面しています。
「置かれた場所で咲きなさい」は、若き日に一人の宣教師から贈られた一遍の詩の中にあった言葉だそうです。
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
自らが咲く努力を忘れてはなりません。
雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。
次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。
「置かれた場所で咲きなさい」より抜粋
今こそこの言葉が、多くの人の心を勇気づけるかもしれませんね。
この一年を振り返ると、思うように行動できない日が多かったとはいえ、新たな人との出会いやヨーロッパからやってきた絵画との再会、土器や土偶との対面など、深く心に残っているものがいくつもあります。
その中の一つが「塔本シスコ」さんのアート作品と彼女の生き方。
「塔本シスコ」さんは、1913年熊本県生まれ。生後間もなく養子となり豊かな生活の中で愛情を受けて育ちますが、家業が傾き小学4年生の時中退し、その後は農業の手伝いや奉公に出るなどの働く日々を送ります。
‥因みに「シスコ」は本名で、養父がサンフランシスコ行きの夢を託して名付けたそうです。
20歳で結婚し、夫を支えつつ子供たちと金魚やスズムシなどを飼い、スケッチを楽しんで過ごしました。
46才の時に夫が事故で亡くなり、その後軽い脳溢血でリハビリ生活をおくります。
本格的に絵画を描き始めたのは、長男が就職で家を出て、彼が残した画材を使って見よう見まねで描いたのが始まりでした。
その後は創作活動を続けながらも娘の出産のために鹿児島へ移住し、やがて息子夫婦と同居するために大阪へ。
大阪の団地の四畳半の自室兼アトリエで生み出した絵画は、幼少期の故郷の思い出や、自宅近くの公園、育てている草花など、ごくごく平凡な生活の中で見たものや感じたもの。
キャンパスには、段ボールや木箱、お酒の瓶やしゃもじといった身の回りの様々なものも対象になりました。
多くの困難や日中戦争、第二次世界大戦を潜り抜け、家族を支えながら生み出されてた作品は、人を魅了する〝やさしさ〟や〝愛〟が溢れています。
これこそ〝ナイーブアート〟(正式な美術教育を受けたことのない作家の作品)であるこそ感じられる魅力の一つかもしれません。
「桜島」
故郷の熊本や九州の作品を多く残しています。画面いっぱいに描き、余白を残すことは殆どありませんでした。
「ふるさとの海」
3帖ほどの段ボールの裏に描かれています。子ども時代の楽しい思い出が湧き出ています。
「アロエの花は冬に咲きます」
自分で育てているアロエでしょうか。こんな身近な話題も絵のモチーフになります。
「ミーチャン トウガンヲ ミテ ビックリよ」
動植物を愛するシスコさんにとって、猫は大切な家族でした。
「カニサボテン 卵から育てた琉金」
多くの作品に共通するのは、明るく鮮明な色彩で溢れていることです。
「シスコの仏様」
ある種の神秘性を感じる像です。自然への崇拝や亡くなった人々の鎮魂の想いがこめられているようです。
植物や小動物を育て愛でながら、運命に逆らわず激動の時代を過ごしてきたシスコさんの作品には、それぞれの宿す生命が大切に温かく表されているように感じられます。
「置かれた場所で咲き続けた」シスコさん。
その時々に置かれた環境の中で、楽しみを見つけ、美しい植物や自然に心をときめかせ、愛おしむこと。
平凡で決して目立たないけれど、とても素敵なことですよね。
今はシスコさんの時代よりはずっと自由で平和ですが、社会状況、家族や経済の事情や心身の不調などで、自分の思い通りにならないこともたくさんあります。
いつも前向きに、ポジティブに‥というのはハードルが高いですが、そんな時には自分だけの小さな楽しみや癒しを見つけて、ほんの少し〝根をはれる〟ように過ごしたいですね。
シスコさん‥あえて〝さん〟付けにしているのは、画家としてより人生の先輩のように感じられるから。
勝手に親しみこめてシスコさんと呼んでしまいます。
11月の世田谷美術館をかわきりに、塔本シスコ巡回展が開催されています。
2022年2月~熊本、4月~滋賀、7月~岐阜
お時間があったら、是非足を運んでみてください!
最後まで読んでいただき有難うございました☆彡
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