充電、それは八本足の悪魔
中学生のころ、やけに生生しい感覚を伴う夢を見た。
部屋でゲームをしていて、何かの拍子に電源の延長ケーブルが体に巻き付いた。ケーブルはお腹の辺りをぎゅうっと締め付け、息ができなくなった。その苦しさがあまりに現実的だった。「うう…」と声にならない声を出していた。「死ぬ」と思った次の瞬間に目を覚まし、安堵のため息をついた。
思えばあの夢こそが、今の恐怖を暗示していたのかもしれない――。
現代人は充電に取り憑かれている
あなたが毎日欠かさずにしていることは何ですか?
食事や睡眠、入浴、歯磨き。多くの習慣があると思いますが、忘れてはならないのが「充電」です。
【充電(じゅうでん)】
蓄電池に外部電源から電流を通じて,電気エネルギーを化学エネルギーとして蓄えること。
現代人は充電に取り憑かれています。暇を見つけては何かの電子機器を充電をしているはずです。何かしらのケーブルを、何かしらにせっせと挿し込んでいるのです。
寝る前にスマートフォンを充電するという行為など、もはや無意識レベルに落とし込まれていることでしょう。我々はもはや充電によって生かされているのです。
充電しなければならないものが、スマホ一台なのであれば事態こうも深刻ではなかったはずです。
しかし、現代人は多くの電子機器を所有し、持ち歩いています。
スマホやパソコンはもちろん、iPadにモバイルWi-fi、携帯ゲーム、Bluetoothのイヤホン、デジタルカメラ。これだけ多くのものの電池残量を気にかけているのです。常軌を逸しています。
備えとしてモバイルバッテリーを持つことも当たり前になりました。しかしながら、当然それ自体も充電しておく必要があります。正気なのでしょうか? 来たるべく充電の時に備えて充電をしているのです。もう何が何だかわかりません。借金返済のために借金するみたいになっていませんでしょうか。
きっと、これからの時代、日本にやってきた外国人が真っ先に覚える日本語は「アリガトウ」「オハヨウ」「シャチョーサン」ではありません。そう。「ジューデン」です。英語の辞書に「Juden」が載るのも時間の問題かもしれません。
電源なしでは生きていけない
ここ数年「電源」という言葉を頻繁に聞くようになりました。文字通り、電気の源(みなもと)です。電源がなければ充電はできません。
「電源」という言葉を知らない人はいないとは思いますが、これまではあえて口にするような機会は少ない言葉でした。
それが今では「電源カフェ」なる言葉ができるくらいにメジャーになりました。一回、立ち止まって考えましょう。カフェの頭につく言葉といえばこれまでは「猫」や「メイド」が一般的でした。
そこに肩を並べる突然の「電源」。みなさんには少しでも早く、正気を取り戻してほしいものです。
電源とはすなわち、充電に取り憑かれた民のオアシスなのです。
彼らの口癖は「(スマホの)電池切れそう」と「ここ、電源ある?」。電源がないとわかれば、もうお先真っ暗です。
ある調査機関の調べによれば、現代人の約5人に4人は自身の半径1メートル以内に電源のない状態が1時間続いただけで禁断症状が出るそうです。まずは体が震えだし、次第に息切れや動悸が起きます。そして、ついには発狂するのです。邪鬼(オニ)に変態する人もいるかもしれません。
彼らはもはやスマホやパソコンの電池残量が0%になることを恐れているわけではありません。何かを充電しているという状態こそが、心の拠り所なのです。
本来、我々は日々の仕事や娯楽のために電子機器を使い、そのために充電をしていました。目的があった上で、それを達成するための手段として充電をしていたのです。しかし、今はもう違います。時代は変わりました。手段が目的と化したのです。
人生におけるプライオリティーは充電です。時には仕事や恋人との約束よりも優先しなければなりません。社運を懸けたプレゼン? 関係ありません。充電です。ハロウィーン? 関係ありません。仮装の前に充電です。クリスマス? 関係ありません。サンタさん、充電器をください。
9年間にも及ぶ義務教育も、青春を捧げた高校3年間の部活動も、厳しい受験勉強を乗り越えた大学での日々も、全てはより良い充電生活を過ごすための礎でしかありません。必死に働いてお金を稼ぐのも、充電のために必要な電源の確保と、電子機器および充電器を手に入れるためなのです。
我々の生活と充電が切っても切り離せない関係にあるということは、ケーブルの存在を無視することはできません。充電に飢えた現代人にとって、電子機器と電源を繋ぐケーブルも必需品です。サッカー選手にとってスパイクやボールがなければ試合ができないのと同じように、我々もケーブルがなければ何も始まらないのです。ケーブルがなければ、そこで試合終了です。
前述したように現代人は多くの電子機器を携帯し、いつ・どこで充電しようかと常に目を光らせています。充電のためのケーブルを持ち歩かない訳がありません。
とはいえ、デバイスごとに使うケーブルが異なるために、何種類ものケーブルを持ち歩かなければなりません。カバンの中はケーブルで溢れ、それ同士が複雑に絡まっています。多くの人はケーブルの絡まりに精神をかき乱されています。すると、多くのケーブル類を束ねるためのケーブルを使う猛者も現れます。カオス…いや、ケイオスです。
無事に電源を確保したとしても、ケーブルを忘れたとなれば、それまでの苦労が全て水泡に帰すのです。充電は、世界を混沌に陥れます。
充電という悪魔
充電。それは悪魔です。我々人間はいずれ、充電という悪魔にその身を滅ぼされるはずです。みなさんも覚えがあるでしょう。それほど使っていないはずなのに、スマホの電池残量が驚くほど減っている。あれは、悪魔の仕業です。
悪魔。それはそれは恐ろしい見た目をしているのでしょう。ぎょろりとした大きな目で我々を睨みつけ、鋭い牙で襲いかかってくるかもしれません。体は蛸(たこ)に似て、まるでケーブルのような長い足が八本生えているにちがいありません。それらを器用に動かし、狙った獲物を確実に捕らえて離さない。
ああ、恐ろしい。
――あの時、夢で見た感覚が蘇ってくる。巻き付いたケーブルが、体をぎゅっと締め付け、徐々に呼吸ができなくなる。
充電という悪魔は、あなたの背後まで迫ってきているのかもしれない。
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