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介護のアルバイトをして感じたこと


大学1回生のとき、コロナでアルバイト募集が少なかったので、以前から興味があり唯一高時給で募集していた介護のアルバイトをオンライン授業のかたわら始めることにした。

なぜ仕事内容は大変なのにも関わらず介護士のお給料が低いのか、人手不足はなぜなのか、実際どんな人が働いているのか、どんな人が介護施設を利用しているのかが気になっていた。

職場では自分が最年少で、一番若い方でも30歳と若い労働者はほぼいなかった。

介護の仕事自体は大きなやりがいが感じられる仕事だった。車椅子を押したり食事を口に運ぶのを手伝うだけで感謝されるのは嬉しかった。

お風呂、お手洗いの介助は潔癖症の自分でも慣れれば大丈夫だったし、お年寄りはとにかく優しかった。自分1人で介護ができるぐらい成長できた。

利用者に戦争を体験した話や過去の仕事や恋愛の話などをお話ししてもらうのはすごく楽しかった。また、週1回のレクリエーションでみんなが楽しめる企画を考えたり、1人1人に合わせた簡単なおやつ作りをするのは自分の中で楽しみな時間だった。

社員さんもみな優しく、嫌々仕事をしている人はいなかった。
元々違う仕事をしていたが、介護の仕事が楽しく戻ってきたり、街のバリアフリーを増やせばお年寄りがケガすることが減るのではないのか、そんな社会を作りたいと言っていた素敵な方もいた。

だが、だんだんと自分の心の中に違和感が生じ始めた。

なぜ体力仕事が多く病気やケガをしないようたくさん頭も使わなければいけないこの仕事が、正社員はこんなにお給料が低いのか?この仕事は、医師や看護師などと同じお給料をいただく価値があるのではないか?

またお手洗いやお風呂の介助をしているとき、なぜこの人たちは私と同じ人間なの自分の意思で排泄することも自分の体を洗うこともままならないのか?と考え始めた。

施設の利用者は何も罪を犯したわけではないのに、なぜ自分の健康維持を他者に依存しなければならないのか?なぜかすごく悲しくなった。

足が動かない利用者を見ると、辛くなった。
ただ年齢を重ねたというだけで、普通に話すことも笑うこともできるのに、なぜ体は自分の意思で動かなくなるのか?(どの生物も同じだから、これを考えるのは無意味だが)

日常生活で他者の助けが必要になったので、そのた方たちのために介護施設は存在しているのだが、明るく振る舞っていても食後にたくさんの薬を飲んでいたり、車椅子に乗って無表情で帰りの車に乗せられる利用者を見ると、なんとかして以前のように自分の意思で自分のやりたいことをさせてあげられるように助けたいのに、どうにもできない自分が嫌になった。自分がただ日常生活の介助をするだけで、利用者は少しでも幸せな気持ちになれているのだろうか?

介護施設には家族がいたり、家族がいなかったり、さまざまな利用者が施設にはいた。

利用者の家族はたとえ介護が必要になったとしても、一緒に家にいたいとは思えなくなってしまったのだろうか?私も月日を重ねて親の介護が必要になった場合、介護施設に預けようと考えるのだろうか?大切な両親や、将来結婚したとしてその相手や、自分自身も老いるのが怖くなった。

どうしようもないことを考えてしまったり、話ができるのに体が動かない利用者の姿を見るのが辛くなって、逃げるようにアルバイトを辞めてしまった。

私は、介護施設を利用する方がもっと楽しく過ごせるようになればいいと思った。ただぼーっとテレビを見たり、寝たりするだけでは、私が利用者なら暇で暇で仕方ないと思う。

子供がいる施設に、お年寄りが自分の話をするという機会を定期的に設ければ、お互い楽しいのではないか?と考えたりした。ハンドメイドで何か作ったり、何か文章を書いて本にしたりしたら、暇な時間も何か楽しさややりがいを見出せるのではないか?

また介護施設で働いてる方全員利用者に対して優しく思いやりのあることをしていて、かつ体力仕事も長時間頑張っているので、もっとお給料が上がればいいのにと思った。

最新の機械をたくさん施設に揃えたら人間の体力的な負担は減るのではないかと考えた。
介護施設で重要なのは、コミュニケーションだと思う。利用者に対して労働者が少なすぎるので、もっと1人1人が楽しくお話しできる環境にしたり、保護猫や保護犬を定期的に呼んでアニマルセラピーをするのもいいのではないか?と考えたりした。

今後高齢化社会が加速していく中で少しでも全員が幸せに生きられる世の中になれば良いなと思う。
もっと福祉のことを勉強して自分がたくさんのお金を手にしたとき、少しでも社会に貢献できる事業を始めたい。

介護のお仕事は大学生が経験してすごく勉強になるアルバイトだと思う。


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