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HSPの僕と、一目惚れのヤカン

ネットで見かけたヤカンに一目惚れして、秒でポチってしまった。
何かを買う時は徹底リサーチが原則で、購入しても良かろうと判断してから更に「明後日になってもそう思ってたら買おう」となるタイプなのだけど、こういう衝動買いも実は時々ある。

決め手は、ズバリ見た目だった。
可愛いけど可愛すぎず、ちょっと硬派でレトロな雰囲気。
色はグレーでパーツは黒。
お気に入りのグレーのストウブ達(複数形。一つ目は機能重視で欲しいものリストに二年以上漬けてからの購入だったけど、カッコ可愛さの虜になって後続三つを次々と衝動買いした)と、うちの台所で兄弟のように並んでいる様子が想像できてしまったのだ。
うぬらは兄弟ぞ?引き離されるなどあってはならぬ。かようなことは拙者が許さn ポチィ。…とまあ、だいたいそういう流れだったと記憶している。

そのヤカンが『あの』機能付きだと知ったのは、届いてからだった。
察しの良いあなたは、すでにこの後の展開に予測がついていらっしゃることだろう。
開梱していた手が止まり、青ざめる僕。
「これ、あかんやつやん…!」
HSP奴の例に漏れず、突然鳴りだす音が心底苦手で、ヤカンと関わる際には間違っても不意を突かれないよう警戒してきた『あの』機能。
ピーピー鳴ることでお湯が沸いたと 頼んでもないのに 知らせてくれる、…そう、新入りの末弟は、笛吹き機能の付いた、いわゆる『笛吹きヤカン』だったのだ。
詳細ノールックで即ポチした自覚がしっかりある、今更もう商品ページは確認しなかった。だって書いてないわけないでしょうよ、こんな大事なこと!

己の軽率に呆れて物も言えなくなったけれど、台所でこのヤカンとストウブ達が並ぶ様子は全く期待通りだった。
可愛いは正義だ。
この法則は絶対であり、しかも実見してしまった今や抗えるはずもない。
水を入れて火にかける。
躊躇いや迷いは無かったけれど、勇気のほうは少なからず要った。
数分後、突然 …じゃないな、予想された当然の結果として鋭い笛の音が家中に響き渡ることになる。
勿論それなりの覚悟はしていた。しかし想定よりもかなり早く鳴りだしたせいで火を止めるのが遅れ、完全沸騰の音量MAXまでガッツリくらってしまうという最悪の展開に。

これは、――無理!

人生で初めてこの笛とサシで相対して、その威力を嫌という程思い知った。あれこれ鑑みるまでもなく共存は考えられない。
真新しいこやつを、さてどうしたものか。
静かになった末弟ヤカンに目を落としたまま、胸の苦しさと目眩が治まるのを待ちながら、ため息をつかずにはいられなかった。


…………………  ⚀ ⚁ ⚂  …………………

気力ゲージをミリにしてまで沸かしたんだ、お茶でも入れるか…と、ヨロヨロと支度をして、いつものようにお湯を注ぐ。
なんかめっちゃ湯気立ってんな…と思いながら、猫舌の宿命で、飲み頃になるのを待った。
時間の経過と共に気分が落ち着いてくる。
けれどカップは熱いままで、どうもいつものように冷めてこない。

新しいヤカン、多めの湯気、冷めない紅茶。

はたと僕は気が付いた。
笛吹きヤカンが鳴るまで沸かしたさっきのお湯は、いつものお湯より熱かったという事実に。
つまり、ピーピー言わないヤカンで沸かしてきた今までのお湯は、完全に沸騰していなかったということになる。
理由と経緯は察するに難くない。
吹き出る湯気、カタカタ鳴り出すフタ、焦ると余裕を無くす自分の性質を知っている僕は、急かされる状況を未然に防ごうと火を早めに止めてしまっていたのだろう。それが癖になっていたのだ。たぶん、何年も前から。
沸騰したと思って使っていたお湯は、実は沸騰していなかった。
紅茶がいつもより美味しく感じるのは、関係あるのだろうか。
じゃあ他のお茶ならどうなる?
大好きなココアは?来客に出してたコーヒーは?カップ麺は?…
さっきの大絶叫が嘘みたいに澄まし顔でコンロに座を占めている末弟笛吹きヤカンを、まじまじと見つめる。
うちに来て早々、彼は教えてくれたのだ。
沸騰のなんたるか、――ちょっと大袈裟かもしれないが、未知の世界を。


…………………  ⚀ ⚁ ⚂  …………………

こうしてスタメン入りした笛吹きヤカンは、今日も台所でストウブの兄達と仲良く並んでいる。
この満足感、やっぱり可愛いは正義なのだ。
多少難があっても乗り越える方法はきっと見出せる。だってそこには愛があるのだから。

そういうわけで、新参の末弟よ。
小柄で容量もやや少なめな君は、台所の古参である先輩ヤカンとも役割分担しながら楽しくやっていけると思う。一人分のお湯を沸かすのが主な仕事だろうけど、出番は多いから覚悟しておきたまえ。
ただ、火を止めるタイミングは僕に任せてほしい。
しっかり沸騰するよう気を付けるから、君は教えてくれなくて大丈夫だ。
末永く良好な関係でいるために、笛は使わない方向でいくことにしよう。

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