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友人からの「がんばれ」にイラついた話

言葉の持つ影響力はすごいな、そうつくづく思います。
誰が発信するか、はもちろん大事ですが、なんでもない友達からかけてもらった言葉にすごくパワーをもらったり、その言葉ひとつで世界が変わって見えたり。あるいは、ちょっとした言葉にひどく傷つけられたり。



先日、僕ががっかりした話をさせてください。
高校大学と一緒で、今でも仲が良くて、飲みに行く友達がいます。
この間、飲みの誘いがLINEで来たのですが、僕は部活があり予定が合いませんでした。
その後に何件かLINEした後、もう話すことがなくなったかな、というタイミングで、「(サッカー)がんばれ!」という言葉。



はぁ、またこれか。
客観的に見て、別にイラつく要素なんてないような気がします。でも僕は、この言葉を見たとき、本当に残念な気持ちになりました。



この思ってもないようなとってつけた上辺の言葉に付き合うのに本当に疲れた。
大学で週6で部活。確かに大学生の中では少数派かもしれません。
「俺たちは週6でよく頑張ってるぜ」なんて部活内で声をかけたりしていますが、辞める理由から目を背けるための虚しいやり取りにすぎません。結局は自分たちが選んでやっているわけで。
実際、体育会学生の、「しんどすぎる、誰か俺を養ってくれ」みたいなやつは見ていて吐き気がします(戒めでもある)。




高校までは、基本的にみんな部活をやっていたと思います。忙しさや、強豪かどうかは置いといて。大学になって、部活(体育会)をやっている人数が少なくなってからは、その希少性に注目されがちです。



だからか、高校の時とは比較にならないくらい「すごいわ」、「頑張ってるな」なんて言葉をかけてもらうようになりました。別に全く嫌な気なんかしません。そんな言葉をかけてもらう度に、「頑張っているらしい自分」をちょっと自覚して少しやる気に繋げるだけでした。




4月。新たな出逢いと共に、自己紹介の機会も増えました。
「体育会サッカー部に所属しています」と言うとみんな、特にサッカーサークルに所属している子たちは「すげえ」、「まじで尊敬する」そう声をかけてくれます。僕が思うに、彼らのこの言葉は上辺ではなかったです。本心で言ってくれていたように思います。
だけど、このやり取りに飽きたというか、この言葉をかけてもらう度に周りとの壁を自覚します。あるいは、この言葉をきくたびに、周りとの間に壁を自らで作り出してどんどん生きづらくしているように思います。


そして終いには、「結局誰も自分を理解してくれない」という思考に陥り、ますます孤独を感じるのでした。





別に友達を悪く言いたいとかは全くないです。僕も何度も上辺だけの「がんばれ」をかけてきたので。そして、今思うとその返答はあまりよくなかったような気がします。「ありがと!そっちもがんばってね」、これで終わるのが普通です。


正直、かけてもらった言葉に対するリアクションがどうかなんて、その日の気分のような気がします。今たまたま僕が上手くいってないから、変に噛みついてるだけで。この文章を書いていてなんだかその友達には申し訳ない気持ちになりました。



もはや何が悪いのかわからないので、結論として、
コミュニケーションはface to faceに限る
ということにします。



LINE(メッセージ)という冷めた媒体で、熱い話をするのはどうなんだろって感じます。いくら気持ちがこもっていても、伝わり切らないから、もったいない。






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