狂わず生きる

汚い大通りのど真ん中で大声で語らう、鈍感さと厚かましさのサラブレッドが幅を利かせるこの東京を、私はどうにも許せないでいる。この場所で大胆に振る舞える存在は、相手を少し小馬鹿にして愛想笑いを誘うのが楽しいコミュニケーションだと勘違いしている人間だ。生まれ持った不調をどうにかするために四苦八苦し、それでも笑われどころが多いらしいことを自覚しながら生きる私にとって、そんな世間は脅威でしかない。

世間に溢れるカルチャーは時として心の拠り所になり得る。それでもコンテンツの供給に一喜一憂する自分を発見する度に、途方もなく巨大な、何某かの経済に組み込まれてしまった気がしてどうにも息苦しくなる。東京のどこにも澄んだ清らかな空気などない。排ガスと喫煙所から漏れる煙が辺りを満たしている。太く短く生きるには良い街なのだろう。世間はきっと早熟で、私よりもずっと早くにそのことを受け入れている。

五月病の言い訳もいよいよ通用しなくなる小満の候、外に出ると時折吹くビル風が疎ましい湿気を忘れさせてくれる。こういう日は、薄明に飾られる都会の景色を許せる気がする。果たして効いているのか分からない薬を飲み続けた甲斐があったのかもしれない。思考は時に希死念慮の喧騒に包まれる。処方箋で思考を鈍感で厚かましく変えてはじめて、この都会でせめて名前のない人間になれる。

我ながら立派だと思う。多量に摂取すれば死ねる薬の用法用量を守って未だ生きながらえている。たまたま狂わずに生きている。ただそれだけのことに大変な精神力を要する。忌々しい世間は、ただマイナスをゼロに戻す労力を認めはしない。そのことに気付いたのはごく最近で、それくらいに私は未熟だ。スタートラインに立つまでに必死の思いで己を繋ぎ止める人がいることにはせめて敏感でありたい。巨大で無機質な都市への反抗である。


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