理想と現実は違う。だから?

  ここで書くことは、介護や福祉の「現場」に限らず、多くの「現場」にも通じることであると考える。
私が介護や福祉の「現場」を離れて14年半になる。
 

    私は介護や福祉の「現場」に出る前は、福祉系の大学へと通っていた。大学在学中、私は、社会福祉のなかにある自己決定の尊重や、障害があってもなくても当たり前に生きられる社会、そんな福祉理念に惹かれていた。また惹かれるだけではなく、実際に地域で障がいのある人の介助をしたり、選挙に立候補した身体障害当事者の選挙運動の手伝いをするなどしていた。大学在学中、私はよく社会人の先輩や大学の同級生から、こんな言葉をかけられた。「理想と現実は違う。」

    私は必ず福祉の仕事に就くと決めていたわけではないが、その後、縁があって福祉の職場に就職することになった。そこは、介助の必要な重度の障害者が利用する福祉施設だった。しかし、福祉の「現場」に就職してから直面したことは、大学で学んだことと、実際の「現場」の間にある大きな差であった。

    就職した当初、できるだけ利用者の意思を大切にしようとする関わりをしようとした。もちろん、支援者が利用者の意思を理解することには限界があるし、分かったつもりになっているだけのこともある。本当の意味で人を理解するということは、とても難しいことである。しかし、その問題はここではおいておく。とにかく、私は、何とか彼ら彼女の意思をできるだけ理解しようとし、彼ら彼女たちが望むような生活ができるようになるために支援することを目指した。

    知的障がいのある人や自閉症とされる人、またその他いろいろな障がいのある人は必ずしも施設のプログラムを理解して、時間にそった行動をできない人も多くいた。特にある場所からある場所に移動する際に、そのことを嫌がり、固まってしまう人が少なからずいた。そういう時に、先輩の職員が、「~さん、次は~をしますよ。」と言って、手を引っ張って次のプログラムの場所へと連れていく場面があった。その後、その利用者が次のプログラムに楽しそうに参加していることもあったから、一概にそれがいけなかったとも言えないかもしれない。しかし、時として、それは利用者がどうしても前にいた場所から移動したがらない時に、やや強引に行われることもあった。
私は当初それに抵抗を感じ、利用者が移動したがらない時に、その利用者の手をとって、次の場所に連れていくということをしないようにしていた。利用者の多くは、「~さん、次は~のプログラムですよ」と穏やかに声を何度かけ続けていると、他の利用者とは数分遅れですっと立ち上がって次のプログラムが行われる場所に移動することができた。しかし、ある時、先輩職員がきつい口調で私に行った。「あのさー。ここ集団生活なんだけれど、そんなことやってたら施設がなりたたないのよ!」先輩職員からそう言われても、私は、利用者が次のプログラムの場に自分から移動するまで待つということを続けていた。しかし、やはりどうしてもそれを続けることには限界があった。施設の中の多くの職員が私のようなやり方をしていない中で、私だけがそれを続けることには限界があったのだった。「現場」で働き続ける中で、私もまた、あの言葉を発するようになっていた。そう。「理想と現実は違う。」である。

   その後3年間福祉の「現場」で働き続け、私は介護福祉の現場から、福祉専門職の養成を行う場へと転職した。そこは、かつての私のように10代後半や20代前半の若者が多くいる場であった。一部の福祉系のアルバイトをしているような若者を除けば、やはり若者たちは現場を知らない。そんな私がある日、かつて私が言われた言葉を、そこにいる若者に、かつて私が言われたのと同じように投げかけたことがあった。そう。あの言葉だ。「理想と現実は違う。」である。

    しかしある日の事、私はそんなことを言ってしまった自分を振り返り、何かこれでいいのかという思いが浮かんだ。本当にそのような言葉を若者にむけて語ることがいいのだろうか。「理想と現実は違う。」確かにそんなことは多い。しかし、では、それを若者に向かって言い続けることにどんな意味があるのだろうか。「理想と現実は違う。」と100回言ったところで、1000回言ったところで、現実は変わらない。集団処遇のために利用者の意思が尊重されないこと、利用者が望む支援ができないことは変わらない。
さらに言えば、「理想と現実は違う。」という名のもとに、福祉や介護の「現場」ではさまざまな人権侵害が行われうる。

    身体拘束や、居室の外部からの施錠、過剰な向精神薬の投与などについてもそうである。現実には、本人の為にも身体拘束をするしかない。少ない人手だから薬をつかっておとなしくさせるしかない。そして、それに対し、外部から異議申し立てがあがると、時として、異議申し立てをした人に、あの言葉が返される。そう。「理想と現実は違う。」である。
 

   確かにそうだ。「理想と現実は違う。」だからどうしたというのだ。もし、現実が理想の通りでないならば、理想に近づけていくためにどうしたらいいか考えることが大切なのではないか。福祉に限らないが、どうしてもある業界の中にいると、その中にある考え方に染まってしまい、外部からの意見にたいして、「現場はこうである。」と聴く耳をふさいでしまうことがある。また、30代40代と年をとっていくと、若い人の言うことを、それが若さであることを理由として、未熟さや青さ、経験のなさに帰して、真剣に取り合わなくなってしまうことがある。それは、私自身への自戒も込めてそう思う。
 

   どんな現場であっても、「理想と現実は違う。」しかしである。「理想と現実は違う。」という現実に対して、そのことを指摘されたならば、そこで仕方がないと思考停止するのではなく、ではなにができるのか、どうしたらいいのかということを、それを指摘した人、さらには、老若男女いろいろな人を巻き込みながら考えていくことが大切なのではないかと思う。「理想と現実は違う。」と言い続けたからといって、誰かが幸せになるわけではないのだから・・・


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