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書くこと

私にとって書くことは、「自分を解放すること」だ。自分の中にたまって、心という容器からあふれた何かをすくいあげるために、文字にして、言葉にする。

残念ながら私は、自分が醜い人間ということに幼い頃に気づいてしまった。容姿の話ではない。心の話だ。
心臓の奥の血管に眠る黒くて汚くてどす黒い塊の存在を認めてしまったときから、何だかとても生きづらく、生きるのが面倒になってしまった。
塊の存在を誰かに話すたびに、眉をひそめられ、怪訝な顔をされ、疎まれた。いけないものだと気づいて塊を隠していたら、それはそれで上手くいくようになったけれど、同時に自分の中の何かが壊れていった。

歪む

塊を隠し続けるほど人から変な目を向けられ、嫌なことを言われることが増えた。そしてまた、何かが壊れた。
矛盾している。じゃぁどうしろと言うの。あなたは私に何を求めているの。
必死で顔色をうかがううちに、何だか世界は優しくなった。少しだけ生きやすくなったことに気づいた私は、また顔色をうかがうようになる。
今度はもっと上手く、深く、正確に。

癖になっていった。

いけない薬を1粒ずつ飲むように、このときはこう、あの人にはこう。振る舞い方のパターンを増やして、仮面をいくつも用意した。
そうすることで、便利で使い勝手がいい“わたし”は、だんだん求められるようになっていった。当たり前だ。そうなるように生きているのだから。
呼ばれるたびに求められる快感を得ては走り回った。たまらなかった。やめられなかった。何かを無視していることに気づかず、声のする方へ転げまわった。

おかしな話だ。あんなに走って転んで、誰よりも動き回ったのに、空っぽの私を今、助ける人は誰もいない。誰からも名前を呼ばれない。求められない。
おかしな話だ。あの人たちはどこへ行ったのか。

隠れるのがうまいなぁ。
いや、元から存在していなかったのでは?
そんなことはない、よく見ろ、と指さされた胸元には、大きなダークホールが渦巻いていて、黒い血が滴り落ちている。彼らがいた証拠は、虚しくも自分の中に、形のない傷になって確かに残っていた。

気持ちが悪い。
心はかきむしれない、たたくこともできない。物理的な痛めつけ方を探して、探して、さまよった。自分の中にいる記憶を、得体の知れない何かを、とてつもなく不気味なものを追い出す方法を探しては、かさぶたにならない弱い心臓をえぐり出した。
少しだけ塊があふれて、また新しい塊ができた。足元に広がる漆黒の海に浸かって、少しだけ水遊びをした。

耐える

私にとって「書くこと」は、自分を解放することだ。
自分の内側にひそむ黒に気づき、存在を認め、身体から吐き出すための唯一の方法。
そこには忘れたいこともあって、忘れたくないものもあって、何かにつけて自分を嘲笑ったいつかの顔たちがスタンプのように押されて刻まれる。その中には、自分の顔もある。

汚い。醜い。嫌だ。向き合うたびに逃げて、自分を甘やかして、傷を言い訳にしてはありもしない故郷に向かって「帰りたい」と嘆く。何も知らずに青空に向かってシャボン玉をふかしていた、まだ肌も心も何もかも柔らかかったいつかの私に還りたいと。
少し前までは、そう思っていた。

「負けてやるもんか」

春。すがるようにくぐった門の下で、シャツの裾を破れるほど握りしめる。伸びた爪が布ごと手のひらに食い込んだ。痛い。でも、傷くはない。全部かみしめて進め、と。いつかの誰かの言葉が桜と一緒に風に乗って、遠くに消えた。

「負けてたまるか。絶対に負けてやるもんか」

あの日の苦みも、嘲笑った顔たちも、声たちも、空間も、感覚も、全部ぜんぶ書いてやる。全部私の中にある。だから、書ける。書いてやる。絶対に負けてなるものか。彼らにも。そして、自分にも。

二十三の四月。
唇をかみしめて、ペンを握った。