「ケンジトシ」感想

死生観
人間社会の慣習
宇宙と自然
これら全てに通じる普遍性、恒久性、輪廻
「ケンジトシ」……賢治と死
いや、トシの死をも経たところでの作品を生み出すとなると
つまり賢治と詩 なのか…

そんな事を思考しながら観劇していた。

劇中、スペイン風邪のパンデミック、自然と科学の共生、最終戦争論(戦争を終わらせる為の戦争)が、今のコロナ世界的流行、SDGs、ソ連のウクライナ侵攻と重なる。
今も賢治とトシが生きた時代も変わらない。
(個人的には、犠牲と献身の違いは、意志の違いではないか。戦争犠牲者はあれど戦争献身者という言葉は聞いた事がないことからもそう思う。)

「何も見ていない菩薩の眼差し」
「見えないからこそある月」より
迷いながら歩く人生。その度に菩薩の視線で見えないものを見つけ道を見つける。
菩薩の視線とは、結局は自分を信じることなのではないか。
また、生きることは久遠の修行であり、全ては方便でただ生きてただ死んでゆく。
この分からぬ世界に生まれた意味を思慮するよりも、ただあるがままを見つめ、受け止め、迷いながらも生きていきたい。生きることの全ては死ぬまでのただの事象であり、生まれるのも1人死ぬのも1人だしなとも思う。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」岩手の内陸部の厳しいくも優しい自然のあるがままのを謳った詩の描写にも、メッセージを感じる。

賢治を導くトシ
トシを窓口に世の中を知り、賢治の世界と融合し、その世界を形成していく。その様は、親が赤子に食べ物を口に含み、噛み砕き柔らかくした物を与えている印象を持った。
トシを失ったこと、それによって世界との繋がり(通信)が出来なくなったこと、に苦しむ賢治。「勇気をだして通信は許されているのよ」のトシの言葉に言い知れぬ抱擁を感じた。
その抱擁が「また会えるところでみんなでワルツを踊ろう」という、賢治の前を向いた言葉に繋がったのかなとも。
また、作品を生み出す者の気持ちが賢治のセリフにあったように感じる。空を飛ぶ鳥は軌跡を残す。北村想さんの想いだったりもするのかな……

最後の歌が三拍子(ワルツ)なところに賢治の今後と実社会における希望を感じた。

余談ではあるが
賢治の性状を作用とし、花とアドレッセンスを変数として微分の座標面にプロットするところは、とても分かりやすく、トシにこの上ない親しみを覚えた。また、「バカでのろまでだから勉強する」も完全同意。生涯勉強します。笑

個人的には、石塚(演:山崎一)(役名朧気な記憶で間違ってたらすみません)演技、素晴らしかった。ただナビゲーターとしての役割は分かるが、もう少し解説少なめだと、より思考が刺激されて良きかも……と思ったりも…

いや、それにしても見応えある作品。楽しかった👏👏👏。
#ケンジトシ
#中村倫也
#黒木華
#北村想

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