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『ラーメシュワラム』での学び


12/6-12/8
Rameswaram

最南端カンニャクマリからバスで8時間。

ラーメシュワラムはインド南部の
タミル・ナードゥ州ラーマナータプラム県に
ある都市です。
人口は約50万人で、
タミルナードゥ州で8番目に人口の多い都市です。

インド本土とスリランカの間にある小さな島。

古代インド叙事詩『ラーマーヤナ』の
神話に彩られた巡礼地。

ヒンドゥー教徒にとっての
聖地として有名な場所です。

ラーメーシュワラムの町は
シヴァ神を奉る『ラーマナータスワーミー寺院』
中心に形成されており、
その寺院のそれぞれ東西南北の方角には
ゴープラムと呼ばれる
南インド独特の塔が建っています。

ゴープラム

今の自分の理解でざっくり説明すると
めちゃくちゃレアなシヴァリンガがあって
そのシヴァリンガを拝んだり
聖水を浴びたりするために
インド中から巡礼者が集まってきてる

沐浴

外国人観光客は、
カンニャクマリと同じくかなり少なく、
街を歩いているだけで、
ヒンドゥー教徒たちの熱気に直に
触れることができて色々と考える時間になりました。
インドの8割以上はヒンドゥー教です。

記念写真

スリランカの近くまで行ってきました。
タミル人と話す機会があり
スリランカのことを調べたら
少しびっくりしました。

タミル人とは、
主に南インドのタミル・ナードゥ州や
スリランカの北部・東部に住み、
タミル語を話すドラヴィダ系民族です。

ヨーロッパの大国イギリスは、
第二次世界大戦が終わるまで、
スリランカを含めたインドの大部分を
支配していました。

イギリスは、支配下のスリランカで
紅茶の原料である茶葉の栽培を
行っていたのですが、
その労働力を補うために
南インドの住民をスリランカへ
強制連行したのです。

20世紀には、言語学の進展と
古代タミル文学の発掘により、
『北インドのアーリヤ人』対『南インドのドラヴィダ人』という構図が作り上げられ、
タミル民族主義を中核とする
ドラヴィダ復興運動によって、
タミル人の独自性が強調され、
北への対抗意識が高揚した。

スリランカ内戦は、
1983年から2009年にかけて展開された
スリランカ政府とタミル・イーラム解放の
トラ (LTTE) による内戦。

スリランカ政府軍が
LTTE支配地域を制圧して
26年にわたる内戦は終結したそうです。

26年間に及んだ内戦による死者は7万人以上。
どんだけの命が同じ人間同士の争いで消えてしまったのか。

14年前なんて凄く最近の話。
知らないことばかりで考えさせられました。

『インドを知る』ことが
この最初の3ヶ月の旅のテーマでもあるけど
知るってのは表面的なものではなく

そこの背景や
なぜそうなってきたのかを
深いところをもっと突き詰めていきたい。

現地で生きる人々と触れ合い
歴史や背景、生き方や考え方を知りたい。

これはネットの世界じゃ絶対わからない。
だから実際に行く必要があるんだと思います。

明日からバスで『マドォライ』に移動します。