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もう2度と会えないから、再会は写真の中でね


写真が好きだ。
スマホで撮った、カメラで撮った。
どんな写真も素敵だと思う。

記録用にInstagramのアカウントを作成した。
自分が撮った写真を載せて、沢山の人の写真を見て、素敵だと思った写真にいいねを押す。

自分の写真が誰かを変えられるなんて思ってもいないけど、見てくれた誰かが少しでもいいなと思ってくれたら嬉しい。

写真を撮るようになったきっかけを書いてみた、そんなnote。

1.写真を撮られるのがそんなに好きではなかった


多分、私は元々写真を撮られるのが好きではなかった。
かといって、絶対映りたくない!という強い意思がある訳でもなかった。

撮られるのは嫌いじゃなかったけど、映るのも好きじゃなかったんだと思う。

私の幼い頃の写真は、なんとなくかわいくない写真が多い。
目がパッチリしているかわいい友達が映っていて、自分の目にコンプレックスを感じたり。
花粉症が酷くて目が腫れていたり。
自分がかわいいと思えるような写真があんまり無かった。

あと、前髪の無い自分の写真を見るのもあまり好きじゃない。
生まれつきくせのある髪質で、母が前髪を作ることを推奨しなかった。
それに素直に従い、前髪を作るタイミングを逃したのである。

加えて、美容師さんと話さなきゃいけないことが苦痛で半年、長い時には1年に1回くらいしか髪を切らなかった。(人見知りだったから、話すのが苦手だった。)

故に、まさか母も私がこんなに前髪を作りたがっていたことを知らないのだろう。

という訳から、つい4〜5年前までの写真は前髪が無いのである。
だから見返したくない気持ちもある。
(今見返すと、前髪のない高校生頃の自分の方が少し大人っぽい気もしなくもないけど…)

昔の自分の写真は、気に入らないものが多いから好きじゃなかった、かな。


2.何気ない日々を切り取る、そんな写真が増えた


私が写真を撮るのが好きになったのは高校の頃からだ。

高校は共学だったが、圧倒的に女子の多い高校に行った。
1クラス40人中女子30人。
そんな女子だらけの高校生活は楽しかった。
スマホのカメラはロックを解除しなくても撮れるから、ちょっと携帯を放置しておこうものならクラスメイトが勝手に写真を撮っている。
今思うとすごいことだけど、これが当たり前だった。

ちょうどInstagramも流行りだした辺りで、写真を撮ること・撮られることが当たり前になっていった。
加工アプリも登場して、コンプレックスのある顔もフィルターをかければちょっとかわいくなれた気がした。
そして、段々写真が好きになった。
日常の何気ない写真、友達とふざけてる写真、誕生日サプライズを仕掛けられてる写真。
瞬間瞬間を切り取る機械がもたらしてくれた、幸せな時間だった。

大学に入ってからは、大人数のサークルに所属。
イベントの時はシャッター音が至る所で鳴り、とにかくカメラを向けているところに入っちゃえ!みたいな文化があった。
後から色んな人と映っている写真を見るのも楽しくてしょうがなかった。

写真には絶対に戻らない日々の思い出が、つまりに詰まっている。
そんな写真達が、なんだか愛おしかった。

3.カメラを手にするまで、手にして


高校の頃から少しずつ写真が好きになり、ちゃんとしたカメラが欲しいと思うようになった。
けれど、一眼レフは高級品だ。
新品は安くても10万円。
部活一色の高校時代、私には到底届く代物では無かった。

そして高校2年生の時、たまたま出会ったビレバンで一目惚れした世界の絶景本特集。
世界に広がる景色を見て、いつか自分の目で見たい、ここで写真を撮りたい。
強く思うようになった。
高校2年生の誕生日プレゼントは、絶景本を3冊買ってもらった。
(ちなみにこの本をきっかけに学生団体に入ることになり、この本を出した出版社に入社した。縁とは不思議だ。)

大学3年生の冬、ようやく自分の誕生日プレゼントに一眼レフを買う決意をした。
もっと色々種類見てから買ったら?という両親を振り切り、CanonのEOS Kiss M2を買った。
カメラを持てたことが嬉しかった。
操作方法があんまりわからないまま行ったから、何枚かピントがボケててよくわかんない写真になってしまったけど、それも良い思い出。

友達が撮ってくれた私。
ピントがボケたままカメラ渡しちゃったからボケボケ



大学3年の春、4年にもうすぐなる目前だった。
大好きだった祖父が亡くなった。
つい2週間前までは散歩にも出かけていた祖父は、ソファから動けなくなり、遂にはベッドからも動けなくなった。
就職活動もあいまり、同じ家にいたのに祖父と過ごせた時間は少なかった。
心のどこかで、まだ長生きしてくれるだろうと期待していた自分がいた。

その裏で、祖父は余命1ヶ月の宣告を受けていた。

4.祖父と写真達


祖母も、父母も就職活動で頭を悩ませている私に気を使ったのか、私には余命宣告のことを言わなかった。

亡くなった後、母は私にポツリと言った。
「後1ヶ月なんて、信じてなかったから。」
これは、病院の先生なんか信じない、という意味ではなく。
祖父が後1ヶ月しか持たないということを信じれず、回復を祈っていた母から溢れた言葉だった。

亡くなる前日、祖父の写真を1枚撮った。
ベッドから動けなくなった祖父に、少しでも楽しい気持ちになって欲しいなと思って、祖父のお気に入りの帽子を被せて写真を撮った。
その日から毎日撮るはずだったのに。

「かっこよく撮れてっか?」

私の目を真っ直ぐ見て、祖父はそう呟いた。
それが、生きてる間に撮れた最後の写真になった。

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祖父が亡くなって、親戚中が集まることになった。
離れ離れだった従兄弟もみんな集まって、祖父の遺影を決めた。

私の大好きな映画のサマーウォーズで、おばあちゃんが亡くなって家中のアルバムをひっくり返しながら見て、遺影を決めるシーンがあった。

本当にそのシーンを再現するように、祖父の過去のありとあらゆる写真を見た。

学生時代、働いている時、結婚した時、曽祖父と祖父の写真

その時代、私は生きていないのに。
祖父の一生がそのアルバムの中に詰まっていた。
私がその時まだ生まれていなくても、亡くなった今も。
写真があれば何時だって思い出せて、私の知らない瞬間だって知れるんだ。

そう思うと、また涙が込み上げてきた。
写真達を愛おしく思った瞬間だった。

5.写真を撮る


祖父は、私が物心ついた時から病気を抱えていた。
それでも、体調が良い時は祖母や友達と旅行して回っていた。

知らなかったけど、世界何カ国かも行ってるし、北は北海道から南は沖縄まで飛び回っているような人だったらしい。

アルバムは何十冊もあって、その写真をコツコツ撮り溜めていたのは祖父だったんだろう。

祖父が亡くなって、1年が経った。
この春から上京し、家族と離れた。
そして改めて思う。
何の変哲もない日常はとても愛おしい。

生まれ育った家を初めて出ることには抵抗があった。
残された祖母、父、母を置いていくことには悩んだが、私の意思を尊重してくれた3人は頭が上がらない。

祖母が作ってくれたラーメン、父が草むしりしている姿、母がかき氷を食べている写真。

傍から見たらどうでもいい写真かも知れないが、何十年後にはその光景を見れなくなると思うと、形に残しておきたいと強く思う。

写真が好きだった祖父の血を引いてたんだろうか、それとも色々な経験が私を写真好きにしてくれたのだろうか。

多分どっちもだろうなぁ。
そんな事を思いながら、今日もシャッターを切る。

これが、私が写真を撮る理由。

おばあちゃんが作ってくれるとインスタントでも美味しくなるから不思議
かき氷食べる母の手
そのコーディネート、コーヒー牛乳みたいだねって言ったら心なしかしょげてしまった父、ごめん、背後は母
誕生日に嬉しそうに持ってた、ずっと忘れたくない

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