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ダメダメとーちゃん

たまにやらかしてしまうんですよね。。特に疲れている時とかストレスが溜まってる時とか。。。次の日には殆ど記憶がないのがもっとヤバいっす。

27歳で結婚し30歳まで子宝に恵まれず体外受精に踏み切りました。妻の精神的負担も大きかったと思いますが何とか3回目で男の子を無事出産。出産に立ち会い君と出会えた時の感動は今でも鮮明に覚えてるよ。しかしその後に先生に呼ばれて右耳小耳症と診断された時のショックも覚えてる。どんな言葉で謝ったらいいのか、どんな言葉で慰めればいいのか、頭の中が真っ白になりました。妻に現実を伝えた時には一晩中泣いてた記憶。保育器の中で笑いかけてくる君の顔を見てしっかり見つめ合い、前を向いて歩いて行こうと自分がしっかりしなきゃと誓った日の事も。

自分で言うのもなんですが結構酒は強い方だと思います。大学の時なんかはホスクラのバイトでシャンパン結構いけてましたし就職してからも飲み会なんかでは日本酒一升くらいは。。。いや一升近くまでは平気でした。それが最近、歳のせいもあるんでしょうね。その日はゴルフコンペで朝から飲んでラウンドしてました。昼にも飲んで、ラウンド中も。。自宅に送って貰った事さえ記憶が飛んでました。

次の日、休みだったんで起床したのは7時頃でした。ふと横を見ると妻の枕と姿が無いのに気づきました。『また俺やらかしたかな。。』息子の部屋をそっと覗くと息子の隣で寝ている妻の姿があり『完全にやらかしたな』と確信に変わりました。最悪な事にその日は妻の誕生日、、ただ昨晩の事をいくら思い出そうとしても思い出せない我が脳みそ。。熱いコーヒーを飲み妻が起きてくるのを待ちました。ただ妻も最近は晩酌をする様になり9%の缶焼酎1本、調子が良ければ2本飲んでるんで昨晩の記憶が半分でも飛んでいる事を願ってました。30分後位に妻が起きてきました。『おはよ』自分、妻『。。。』ワンチャン無かった。。オワタそんな感じでした。静かな部屋にニュースTVの音だけがやたら大きく感じる朝。いつもなら息子起きてくるまでPC、ipad触りながら何となく過ごす。でも今日は妻の誕生日、絶対やらかしてるから話しかけるという大きな選択に迫られている休日の朝。。

『俺、昨日何時に寝た?』偉い、偉いぞ俺、少しは言われるの覚悟で話掛けられた。【やっぱ何も覚えてないんだね】とため息をつかれる俺、どんまい俺、頑張れ話しろ『いや~上司と一緒のラウンドだったから結構飲まされてさ。。』ナイス、ナイス俺、上司と一緒=断れない、冴えてる、朝から冴えてるぞ俺。【一人で歩けないくらいになってて息子がオンラインでイヤホン掛けて話しながらやってる声がうるさいとか。。】ん?言葉が止まった、いつもなら嫌味が淡々とくるのに様子が変だ。。さてはワンチャンあったか?ここだ俺、一言『悪ぃ』話を逸らそーとした瞬間、【息子、オンラインでゲームやってたから父親の怒鳴り声を聞いた友達が心配してlineしてきたみたいで楽しんでたのにゲームを辞め早々と自分の部屋に行って怒ってたよ】そう言い残すと妻は洗面所へと行ってしまいました。

凹息子起きてきたらどんな話しようかな。。今までも何度かあったけど決して息子の方からは話してこないし、だからっていつもの様に『おはよう』のグーパンチして何事もなくって訳には。。いつもなら早く起きてきたら一緒に共有出来る時間が増えるので嬉しいのですが。。なんか複雑な気持ちで起きてくるのを待ちました。

『おはよう』いつものグーパンチから始まった朝でした。顔を洗って【トイレしてくるわ】いつもの朝の息子。トイレから戻り【ちょっと部屋でipadしながらゆっくりするわ】。。あれ?PS4しねーのか?『おー分かった、ゆっくりしろよ』息子が立ち去ろうとした瞬間、【あ、昨日の事、覚えてる?】いきなり焦る俺、いままで言わなかった息子から初めての言葉。『いやあんまり覚えて』と言った瞬間に息子、【凄い喧嘩していて俺の部屋まで聞こえるくらいだったよ】凹がちか~【しかもお母さん泣いてたし】オイオイオイオイ【お父さん昔から言ってたよね、女の子には優しくしろって、思いやりのある人間になれって】。。はいごもっともデス、【僕の耳のこと心配してくれて何でも買ってくれて何処にでも連れてってくれて感謝してるけどお母さんの事泣かすのはダメだと思うな、酔っぱらってる姿が俺、一番嫌いだな】

。。。まだ14歳の息子に説教された俺は1時間はフリーズしてました。そして心に決めました『これからは酒の量を減らそうと』でもなんかちょっと嬉しくなってる自分もいました。俺が14歳の頃は親に対しては反発心しかなく仲間とつるんで相当迷惑を掛けてました。性格なのかもしれませんが自分と正反対だと感じてるんです。親バカかもしれませんが凄く優しく思いやりを持っている子供だと感じております。これからも色々やらかしてしまうと思いますが子供と一緒に成長して行こうと感じた妻の誕生日でした。