これが最初の1歩なのか?

『社会福祉協議会』
これが、私の最初の1歩だった。
とにかく、今の状況を伝えなければ。 
と、いうかそれぐらいしか出来ない。
母と弟と私。3人で暮らしていました。
母が亡くなりました、父はずっと前に亡くなりいません。 
弟は中学を卒業してから学校や何かの団体に所属したことはありません。
仕事をした事もありません。
母が家で面倒をみていました。
暴れる様な事は特になく、自分の事はなんとなく自分で出来ます。
だけど、生きる知恵も糧を得る事も出来ません。
こんな感じだ。
この日は年の近い従兄妹がついて来てくれて、彼女はこれからの私を心配して、ハッキリと言葉にしてくれた。
知的障害だと思うって。
それは、母が恐らく認めたくなかった事だったと思う。
私は、見ないふりをしてきた事だ。
母が大好きだったし、苦労をしてきたのも知っているから私は言葉に出来なかった。
親の意向だったんだと思う、小学校、中学校と普通学校で普通級で過ごした弟。

とても、憎んでいた。弟の事を。
ずっと家で母と過ごして、外で苦労をする事も嫌な思いをする事もなく。
お金の心配も、母が入院してどんどん弱っていく事に怯える事もなく、同じ暮らしが続くんだとなんの心配もしないでいた弟が憎かった。
1日でも早く離れたい、面倒なんてみたくない。そう、話をした。
とはいえ、離れて暮らす事になるのはこの時にはまだまだ先の話になる。
市の障害福祉課に繋いでくれるという話になり日程を合わせて一度、弟さんともお会いしてこれからを考えましょう。
そういう話で、一度目の相談は終わった。

帰り道、従兄妹が言った。
弟の事を悪く言ってしまってごめんねって。
そんな事はないんだよ、逝ってしまった母、それに父にも遠慮して言葉に出来なかっただけなんだから。

この頃、私が思っていた事。
お母さんは外に出さずに、自分で面倒みていたのに。
同じ事が出来なくてごめんなさい。
ごめんなさい。
きっと許してもらえないね、ごめんなさい。
今、改めて考えると当時の私はあまりにも痛々しい。

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