笑うな、誰もお前のことを好きでない 

「欲しいなら取ればいいじゃん」と彼は言った。いや、はあ。その通りなんですが、それを「取った」後の煩悶だったり、相手方の都合だったり、そういうところは一切カットで一時的欲求を優先させよ、と。いや、でもそれでいいのか。というか、そんな簡単に「取る」ことができないかもしれないじゃないか。悶々。そもそも彼にとって人間なんていうものは程度の低いもので、彼の安寧だったりを揺らがすことのできるような存在ではなく、一過性の事象に過ぎないのでしょうが。

一緒に行く人によってカラオケの選曲を合わせるようになったり、ちっとも好意を抱いていない相手にもサービスの笑顔、抱擁を交わせるようになったり、そういった我々が会っていない4年間に培われた私の新しい部分があなたは許せないでしょうが、私も実際気持ち悪いと思っている。あなたといた頃の私だったらもっと激しい嫌悪を抱いたに違いないことを考えるとやるせない気持ちになる。嫌な社会への適応の仕方をしてしまった。

あなたはずっとそのまま嫌な性格のままで、友達のいないままでいてね。私にだけ気に入ったバンドを教えてくれればいい。私だけがあなたを好きでいればいい。社会という場において上司や初対面の人間などと難なくコミュニケーションが取れて人間関係を構築できるようになることを果たして成長と呼称していいものか。17の頃の私のほうが高潔であったかもしれないし、あなたはその私を評価していたわけで。

高校時代あなたと一緒に居るおかげで誰も人が寄ってこなかったから友達も片手で数えるほどしかできなかったし、彼氏なんてできなかった。当時はそれでよかったと思っていたけれど、今はそう思えないのかもしれない。別に私を心から愛している人間の数なんて今も学生時代も大差はないのに。冷笑されるのが耐え難い屈辱に思える。エキセントリックな存在になり悪目立ちをするのが愉快でない。だからちっとも興味のない流行りのエンタメもちゃんと触れるし、どんなにつまらなくても初対面の人間にはある程度愛想よくする。なあ、くだらないよな。

社会性を捨てる必要はない。ただ、私は部分的に17の私の傲慢さを取り戻すべきである。