わたし

はっと胸をつかれるようなワンシーンも他人にとってはなんて事のないワンシーンかもしれない。わたしの抱いた感情とは温度も方角も違うかもしれない。わたししかわたしのことを100パーセント分かってやることはできないのだ。それってすごく寂しいことだな、と思ったのでわたしはもう一人私を生み出してみることにしました。ハアイ。ハアイ、元気? わたしは元気よ、あなたは?

わたしたちはたくさんの映画を四つの目で見ました。たくさんの音楽を四つの耳で聴きました。たくさんの場所を四つの靴で踏み踏み、歩きました。ときどきわたしたちは双子に間違えわれたけれど、嫌な気はしないのでした。たくさんの感情の交換を二つの口と二つの心でしました。

けれどやっぱり、ずっと二人でいることは難しいこともありました。例えば学校。わたしは両親に学校に通わせてもらっていたけれど、もう一人の私の分までお金を工面してもらうのは両親に申し訳なかったし、どうやって説明すればいいかもわからなかったのです。基本的にどちらが学校に行っても問題はありませんでした。一人が吸収したものはもう一人にも共有されるようにわたしたちはできていたのです。なのでわたしたちは交互に学校に行くことにしました。

「わたしね、多分あの子のことが好きなんだと思う。」
ある日私がそう言ったのをきいて、わたしはちょっと意地悪な気持ちになってしまいました。
「へえ、どんなところが好きなの?」
そう聞くと私はすらすらと好きなところと、それを見つけた瞬間のことを自分のもののように話すので、わたしはなんだか大切なものを盗まれたような気持になってしまいました。するとみるみる、楽しそうにあの子のことを話していたはずの私も青ざめていくようでした。

ごめんね。湯船に浸かる私が言いました。ごめんね。シャワーでシャンプーを流しているわたしが言いました。湯船とシャワーをこうかんこして、もう一度ごめんねをワンセット交わしました。そのあと二人でベッドに入って眠りましたがその日のベッドは全然暖かくなくて、それにもなんだか悲しい気持ちになってくるのでした。わたしたちの体温はぐんぐんと下がっていきました。

深夜三時、わたしたちはあまりの低体温で体がまともに動かせないことに気が付きました。目はぱっちりさめているのに寝返りが打てず、恐ろしくて、恐ろしくて、わたしたちは天井を見つめながら涙を流し続けました。大丈夫だよ、大丈夫。わたしたちはお互いを励ましあいながら朝を待ちました。しかし一時間後、わたしたちの体温はさらに下がり、耳に流れ込んだ涙が氷になって固まって、わたしたちの耳を塞いでしまったのでした。

あまりの心細さに耳からまぶた、まぶたから鼻、鼻から唇、と氷はどんどん体を包み込んでいってしまいました。しかし、ある時からわたしたちはもう泣いていませんでした。気づいたのです、わたしたちは心で繋がっていることに。大丈夫、の声が聞こえなくても、ちゃんと聞こえていたのです。首を動かして姿を見ることができなくても、ちゃんと心で見えていたのです。

思えばわたしが寂しいな、と思って私を生み出したあの日、映画を見ていた時ももう既にそこに私はいたのかもしれません。今も、あの時も、未来も、過去も、わたしはずっと変わらない、わたしは大丈夫、わたしはずっと大丈夫だった、そんな気がしてきたのでした。

やがて朝が来ました。長い、長い、夜でした。隣に私の姿はありませんでした。ベッドがずっしりと水を蓄えていて、きっとこれは買い替えなければいけないでしょう。とにかく、これは二人分の涙に違いありませんでした。