ちょっと嫌いで、結構愛おしい。そんな彼らに会ってみてください——『明け方の若者たち』感想文

所属しているinquireが運営するライティングコミュニティ「sentence」で、カツセマサヒコさん著『明け方の若者たち』を味わう読書会に参加します。その読書会に向けて、感想を記していこうと思います。

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「ちょっと嫌いだな…」

最初に登場人物に抱いた感想が、それだった。

周りの人間をちょっと見下しつつも、自分の理想の社会人生活を描こうともせず、自分のどろどろした欲求や感情に向き合いもせず、「こんなはずではなかった」というぼく。何者でもいたくないといいながらも、夫からの愛情が受け取れない寂しさに耐えきれず、容赦なく主人公をズバズバと傷つけていく彼女。

ちょっと、嫌いだなと思いながらも、ページをめくる手は止まらない。

だって、すごく心当たりがある。「こんなはずではなかった」と言って環境を変えても「こんなはずではなかった」を言い続ける社会人も、愛されない寂しさから、他人の恋愛感情を利用して「名前をつけられない関係性」を繰り返す人も。ページをめくるたびに、現実世界の友人や知人の顔が浮かんで、照らし合わせている自分がいた。そして、最後に浮かんできたのは自分の姿だった。

主人公に名前がついていない理由

主人公には名前がない。それは小説としてはよくありうることだが、「明け方の若者たち」では、すごく意味があることなのではないかと思う。

私は「明け方の若者たち」を読む前までは、小説は「特別」で「唯一性」を含むストーリーがあるからこそ、成立するものだと思っていた。しかし、勝ち組飲み会も、「こんなはずではなかった」と愚痴をこぼす会社員も、どこでも見られるし、私にはこの物語に特別性を感じなかった。どこにでもある会話、どこにでもある光景でしかなかった。

ストーリーに特別性を感じないからこそ、劣っている…と言いたいわけではない。私は、いい小説ほど読者を映す鏡だと思っている。「あ、この感情なんかわかるな」「この言葉、私も言ったことがある」、登場人物を鏡にし、自分自身を言動を自然と振り返ってしまう本…それが良い小説の基準だと思っている(これは個人的かつ勝手な基準なので悪しからず…)。

「明け方の若者たち」は特に東京に住むミレニアム世代、いわるゆ「カツセマサヒコ世代」の心を映す鏡となっているだろう。だからこそ、主人公にあえて名前をつけなかったのかな…と推測してしまう。だって、これは私自身を映す物語でもあるのだから。

嫌いだ、だけど愛おしい登場人物たち。

本を読み始めて約2時間。今までの読書で最速かというくらい、最後のページにたどり着いた。その頃には、「ちょっと嫌いだな」と思っていた登場人物たちが、彼らの行先を見てみたい気持ちが膨らみ、少し愛おしさも感じていた。

「『あの頃はよかった』とか言い出すオトナになりたくない」とか、「誰からも称賛されるような存在よりも、たった1人の人間から興味をもたれるような人間になりたい」とか、あれ?自分noteで書いてたっけ?と思うくらい、同じ気持ちを抱いたことがあった。だからだろうか、彼らのことをちょっと嫌いで、結構愛おしくなってしまった。


そうそう、私は今、ぼくと彼女が出会った明大前近くに住んでいるんです。



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