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人生はスタンプラリーか?【深そうなことを言う選手権】

人生設計、ライフプラン、などという言葉をよく目にする。家や車を買う、とか、子どもの教育が、などの要素を考慮して「計画的に」生活しましょうね〜という。
老人になったらもう関係ないかというと、老後のマネープランだの、はては、厚労省が推している「人生会議」(アドバンス・ケア・プランニング、ACP)だの。

みんな、計画が大好きか?! 
わたしは、計画が嫌いです。

そもそもは、中学生のときに、授業(家庭科とか)で、人生プランみたいなものを書かされた際、全くなにも書けなかったのがトラウマになっているのだ。
各自に配布された年表形式の紙に、同級生は、二十五歳で結婚して子供は三人、みたいなプランを喜々として書き込んでいる。あるいは、看護師(当時は看護婦)や、客室乗務員(当時はスチュワーデス)になるとか。

今思えば、「結婚して子供を産んで幸せな親になる」みたいな価値観を刷り込まないでくれた自分の親には感謝しなければならないのかもしれないが、人生ノープランな自分に呆然としたのは事実。

結局、人のマネをしてお茶を濁したのか、こんなもん書けませんと言い張って、教師に苦笑いされたのかは忘れてしまった。後者のような気もする。わたしが教師だったらこんな子供は面倒で、嫌だ。適当に書いて出しときゃいいのよ。誰も、あとから計画通りじゃないって非難したりしないのだから。

半世紀を生きた今となってはカワイイ話だ。
何かを選ぶことは、別の何かを選べないということだ、それが、子供ながらに怖かったのかなと思う。

しかし、人生はすごろくやスタンプラリーではない。

もし、すごろくだと信じて生きていたとしても、思いもよらない出会いがあって、平面だった「すごろく」がひっくり返ったり、立体になったり、ぐるぐる回りだすことだってあるかもしれない。
スタンプラリーを楽しんでいても、突然、スタンプの意味が変わったり、スタンプ自体が無くなったりするかもしれない。

プランを否定はしないけど、予定は未定。フットワークを軽くして、その瞬間にやる気が湧くことをやれるようにしておきたい。自分も世界も、日々変わっていくのだから。

(副題の、【深そうなことを言う選手権】には深い意味はありません。なにか思いついたら参戦してください😊)


※画像生成に使用したワード「ボードゲーム」「歩く人」


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