昭和の技術

昭和の思い出も、ハッキリと鮮やかに覚えている記憶もあれば、反対にあれどうだったかなとはっきり思い出せない記憶もある。
昭和ではなく平成だが、ハッキリと覚えているのはパスネットが登場した時だ。それまで渋谷ハチ公前の自動券売機前は常に長蛇の列が形成されていた。そして山手線に乗らなければならないわれわれは「あのハチ公前の自動券売機の列が長くなければ」何時何分の山手線に乗れる、というどんぶり勘定的乗り換えプランで動くしかなかった。それが一気に消えたのである。テクノロジーが人類を救済した歴史の瞬間にハッキリ立ち会ったという輝かしい記憶だ。
この経路検索も、今はスマホで到達地までかなり正確に出るが、当時は「こっからここまで何分だから」という具合で経路ごとに加算してファジィに到着時刻を算出していた。
なので今より「こっからここまで何分」という記憶情報がかなり重要で、各駅だと何分とか、よく移動する駅間の情報はかなり厳密に管理されていた。
さて、本題に入ろう。
パスネット導入だったり、それよりかなり前の自動改札機導入によるおじさん切符切りシステムの解体のようなヴィヴィッドな移行の記憶ではなく、曖昧な移行により、記憶があまりハッキリしていない昭和の技術がある。
スーパーのレジ打ちだ。
完全にすべてがバーコードになったというのは昭和からの歴史というスパンでとらえると、比較的最近だと思う。
それまでは、確かに324円とか、パチパチパチと手で打っていたのだ。
だが、そうすると完全バーコードの今より相当時間がかかっていたはずだし、1日の打ち間違え量も多いはずだが、今よりムチャクチャ並んでいた、という記憶がない。
だから打つのが速いのか、レジ自体が多かったかどちらかだと思う。
おじさんによるカチカチ切符切りも、自動改札より、時間がかかっていたわけではない。おじさんの職人的技術により、乗客の間にあうんの呼吸が発生し、さらに自動改札の扉?も無いため、多分現在のスマホかざすスタイルよりも若干カチカチ切符の時が速かったと思う。
そのようにおそらくレジの人というのも昭和時代は、日本代表レベルとか甲子園レベルに打つのが速い人がいたのだと思う。そのレジ早打ちの技術も、今や切符の技術のように昭和の空間と記憶の中だけの存在だ。
まさに「昭和の技術」である。

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