『サーミの血』という映画よかった。

スウェーデンに住む原住民族のサーミの少女が差別されて、かわいそう、でもそこから立ち上がって独立心を確立する、という映画でもなくて(アメリカの黒人歴史映画だとわりとそういう雰囲気がある)深い問題提起だけして終わる、でもさわやか、という重めの映画である。
重いけれど、映画として充分観やすい「軽さのある重さ」だった。
この映画の監督は、トナカイとテントで暮らすサーミの人達が、伝統を守り続けることに誇りを持つ人と、こんなのやだからスウェーデン人になりたいなぁという主に2つの流れに分断されてしまっている(今もそうらしい)ことの悲しみみたいなのを、クールに客観的に描き出すことに成功している。
この映画の主人公と主人公の妹は、最近映画界で増えた、俳優じゃなくて、ガチその人たちをスカウトして演技してもらう、というパターン。
なのだが、撮影の2年前からキャストを探し始めて、監督は、北部サーミ語がわからないので、南部サーミ語で作るつもりで南部サーミのネイティブを探していたそう。
南部サーミ人で、できれば姉妹で、トナカイ遊牧のこともわかっていて、演技ができて、という子を見つけようとしていてそれに成功したというわけでマジすごい!
この映画ではスウェーデン人が、背が高くて、アングロサクソンの人より白くて、終始おっかない感じで描かれている。学校の先生も優しくて親切なのに根がナチス、みたいな感じでかなりおっかない。学校の先生も、もともと保護区の少数民族に読み書きを教える、というスタンスなのだ。
アメリカ映画等で描かれる他人種への「てめぇらぶっつぶすぞ!」みたいなのも怖いが、この映画の「あれ~なんで違う生き物がいるの?」みたいな感じでナチュラルにキョロキョロサーミ人を見る感じも怖い。
欧米でのわれわれ東北アジア人がまわり全員白人、しかもコンサバ、な時に感じる感じや、閉鎖的な学校に入っちゃった転校生とかの雰囲気に近い。
この映画ではスウェーデン人のフリをした主人公女子が、スウェーデン人街に入り込み、エリートスウェーデン人男子と淡いランデブーをおこなうシーンもあるのだが、これヒンドゥー圏のインドとかだと、瞬殺のパターン。
これ系をインドとかインドネシアとかカンボジアを題材にするとガチ血まみれ映画になっちゃうので、そういう意味ではヨーロッパはまだ少し文化的というか、なんというか。まぁどっちもダメだけど。
というわけでこの映画だけだと、スウェーデン人おっかねぇなぁという感じになっちゃうので、他の何かほのぼしたスウェーデン映画も見てスウェーデン人観を口直ししたい感はある。
アメリカだと思想的にも人種のるつぼすぎて、あ~こういう時代もあるよね、とかこういう地域もあるよね、とかこういう人たちもいるよね、と相対化できるのだが、スウェーデンとかよくわからないからみんなこんな感じなんかいな、と思ってしまうからだ。
それにしても少数民族系の映画はドキュメンタリーもナラティブもほとんど外れがないなぁ。
こういう映画をしっかりと紹介するアップリンクの底力も感じた。

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