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本を読むこと

4月に次女を出産し、現在育休中の私は、次女が寝ている合間を縫っての読書が日々の楽しみとなっている。

もともと、本を読むのは好きな方ではあったのだが、仕事をしていた頃は毎日疲れ果てて帰宅し、「いやいや、本よりまず睡眠・・・・zzz」となる日々の繰り返しだった。

それなので、今こんなにもゆったりとした気持ちで本が読めるこの幸せを、かみしめている。


本を読んでいると、いかに自分が、自分の見方でしか世の中を見ていないのかという事を考えさせられる。自分の無知さを思い知る。

だからこそ、私は本を読みたい。自分と違った考え方の本でも、どうしてこういう考えになるんだろう?と考えたい。

本を読む時だけでなく、人と接する時にも同じ事がいえる。自分と異なる考えの人に対しても、「好き」や「嫌い」を超えて、「なぜそう考えるんだろう?」と考えてみる。


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自分の知らない「色々」を知りたくて、本を読みたい、もっと、もっと!!となりがちの私なのだが、「ただ読むだけで分かったような気になってないですかい?」「頭カッチコチになってないですかい?」と自分に問うようにしたいと日々思う。

ただただ美しい言葉や表現を味わう読書があってもいいし、あー笑えると涙流して楽しむ読書もいい。物語の世界は自由であるからこそ楽しい。

ただ、読むことと一緒に、自分で考え、自分の意識を通して生活に流していく。そうしたい。



先日読んだ養老孟司さんの「養老訓」という本


そこに書いてあったこの言葉、下手すると読書する岩になりかねない自分自身に、ズドーンとそして軽やかに突き抜けてきた。


「そんなことはわかっている」じいさんにならない。


私はじいさんじゃなくばあさんになると思うのだけれど、これってすごく大切じゃないか?

「そんなことはわかってる、そんなことはわかってる」と、そう言う時の人の心はカッチコチだと思うのだ。
頭だけじゃなく、心もカッチコチになってしまっていると思うのだ。

下手な物知りにならない。年寄りの生き方は日に一度感動しようとすることだ。毎日新しい経験をしているからこそ感動できる。それはまた、感覚で細かい差を捉えられるかどうかだ。


だから私は、自分自身の日常の中の驚きや感動を日々感じながら、自分ではない誰かの見る世界を知り、考えて生きるために、読書を楽しみたい。


「そんなことはわかってるばあさん」にならないように。

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