あの頃の夢、胸の奥に仕舞い込んでいたもの
長女が生まれて、初めての育児に少し慣れてきた頃、1歳になる前頃からだったろうか、ハンドメイドの服作りをはじめた。
それまで、自分で服を作ったことは1度もなかったのだが、長女にかわいい服を作ってみたいという気持ちからすぐにミシンを買いに行った。
作ってみたいデザインの洋裁本を探したり、snsでハンドメイドされている方のものを参考にさせてもらったり、長女がまだ保育園に入る前だったので、長女が昼寝をしている間や、夜寝かしつけをした後にミシンでカタコト服を作った。
80サイズの洋服は本当に小さくて、こんなに小さくていいのかと思いながら作っていた。
洋裁初心者の私には、洋裁本の作り方を見ても「?」な用語や技術も多く、それをネットやyoutubeで調べたりしながら何とか形にできた。
一枚のただの布から、形あるものを自分の手で作りあげる事ができた。この達成感や嬉しさ、出来上がった服の可愛さ。服作りってこんなに楽しいんだ!と夢中になった。
*
思い返すと、私の小学校〜中学校の頃の夢は「ファッションデザイナー」だった。
それは確実に、その頃夢中になっていた漫画「ご近所物語」の影響を大きく受けている。
「ご近所物語」は、「天使なんかじゃない」や「NANA」などで有名な漫画家、矢沢あいさんの作品で、ファッションデザイナーを目指す女の子の話だ。
主人公の女の子、「実果子」が作る服はどれも魅力的で、夢に向かって一生懸命に努力する姿はとてもキラキラして、当時の私は心の底から憧れていた。
当時夢中になっていたのは他にもあって、「ファッション通信」という海外のファッションショーを取り上げたTV番組も、毎週録画して何度も見ていた。ランウェイを歩くモデルさん達が纏う独特の雰囲気や、見たこともないような魅力的なデザインの服に夢中になっていた。
調べてみたらこの「ファッション通信」、今もまだ続いているようで驚いた。
ちなみに、「ご近所物語」の続編となっている「Paradise Kiss」もとってもおすすめなので、ご興味ある方はぜひ読んでみてほしい。
小学生・中学生の頃は、「実果子」の真似をして、自分もデザインノートを作って服のデザインを描いてみたり、漫画に出てくる実果子が作った「ハッピーベリーちゃん人形」を、家にある端切れで作ってみたり、とにかく夢中だった。
でも、服を実際にミシンで作る、というハードルはその時越えられなかったな。
高校生になっても、「ファッションデザイナー」への憧れは胸に抱いていたが、進学校の空気感の中でそんな事を声を大にして言えるような自分ではなかった。
高校入学後に、懇親目的の合宿があり、クラスで将来の夢を語るという機会があった。
私は、「大人になったら、家族の着る服を自分で作れるようになりたい」とぼやかし、ファッションデザイナーになりたいという夢は、そっと自分の胸の奥に仕舞い込んだ。
高校卒業後の進路を決める時期に、私はまだファッションに対しての興味があり、服飾を学べる大学に行きたいと考えていた。
母親にその事を相談した時、「本当に服の勉強をしたいと思ってるなら、今の時点で自分で作ったりしてるはず。」そう言われた事を今でも覚えている。
その時私は、「ああ、そうか。好きだけど、自分でミシンを使って服を作ったこともないし、本当に好きだったらもっと自分でいろいろやってるか。それぐらいの好きで、ファッションデザイナーなんて目指せないか。」と悲しくて悔しくて、母の言葉をはねのけてもチャレンジしようという意思もパワーもなかった。
*
高校卒業から18年経った今、ファッションとは全く関係のない仕事につき、それなりに15年間頑張ってきた。
長女の育休後は、なかなか服作りをする余裕もなかったのだが、今また次女の育休中で、服作りも少しずつ再開しているところだ。
「ファッションデザイナー」なんてかっこいい肩書きはないけれど、幼い頃からの夢だった「自分でデザインした服を作る」ということに、ほんの僅かばかり近づけている事が嬉しい。
何より、愛する娘たちが自分の作った服を喜んで着てくれる姿を見れる事がとても嬉しい。
夢や目標は、言葉にした方が叶うというから、ここにまた一つ目標を書き留めておこう。
「いつか、自分の作った服をたくさんの人に着てもらえるようになりたい。」「自分の店を持てたらもっとハッピーだ」
書いてみると、口に出してみると、何だかわくわくしてきた。
今年35歳、今からだって挑戦は遅くないかな。
日々成長している娘達に励まされながら、今この記事を書いている。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?