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泣いた理由【恋人が死のうとした⑥】


福岡から戻った次の日。
十分休んだつもりだったが、体調はやはり戻らなかった。

ダブルワーク先の事務は休ませてもらったが、ホテルの夜勤は休むわけにはいかない。
風邪薬、のど飴、龍角散ダイレクト、思いつくままに頼れそうなものを持参して、どうにか働いた。
声もおかしく、あきらかに体調が悪そうなわたしにみんな心配そうな目を向ける。
「コロナではなかったから!」
うつされる心配というわけではなかったらしい。
確かにいつも元気印!なわたしが体調が悪いことなど、この職場に入ってからなかった。みんな動揺していた。
かと言って代わりにシフトに入ることのできる人もいないので帰れとも誰も言えない、そのくらい全国旅行支援の時期のホテルは大変だった。
「今日、○○さんどう見ても体調悪そうなので、迷惑かけないようにしましょうね」
アルバイトの女の子がほかのスタッフに言っている声が聞こえた。

「休憩多めに回しなよ」
チーフもそう言って退勤した。

みんなの協力のもと、なんとか朝まで乗り切った。記憶は正直ない。


その夜勤明けが11月18日(金)
翌日、19日(土)は希望休だった。

わたしには半年以上前から楽しみにしていた予定があった。
ポケモンの新作だ。
発売日の18日が夜勤明けになるように、19日に休み希望をいれていたのだ。

仕事終わりにゲオに行き、予約していたダブルパックを受け取った。

家についてからSwitchを起動しながら同じように休みを取っていた姉と通話する約束だった。
だが、もう身体は限界だった。
「ごめんもう寝るわ」
御三家で草タイプを選ぶとはすでに決めていたが、まだまだ序盤も序盤、ポケモンを受け取ったくらいでわたしは力尽きた。

てんてんてれれーん。

わたしもポケモンセンターで回復できたらいいのに。


その日の夜に彼の母親から連絡が来た。
彼の体調はすっかりよくなったようだ。
最低でも一年は名古屋に行かせたくない、少しの外出でも彼をひとりにすることが怖い、彼が笑っていても安心できないというような内容が書かれていた。

名古屋が嫌な思い出の地になってしまったことは悲しいと思った。

そしてもうひとつ。
ようやく怯えてくれた。
そう思った。

わたしはあなたの元に彼を送り遂げるまでずっと怯えていたよ。
あなたの息子の命を預かっていたんだよ。
製造責任者でも、結婚しているわけでもないのに守っていたんだよ。

バトンはもう渡した。
あなたが守ってやってくれ。
わたしは今は彼を守れない。


翌日、せっかく休みを取ったのにも関わらず、起き上がってパルデア地方を冒険する元気はなかった。あんなに楽しみにしていたのに。
なんでこんなことになっているんだろう。

彼からは何度もメッセージが来ていた。
わたしにうつしたからかは知らないが、体調が回復し、根源の仕事からも解放されて時間が有り余っているのだろう。

「ニャオハ進化した?」
「体調悪化したからできてない」
「ねえ、ニャオハ立った?」
「いま本当に体調わるいの」
「不在着信」

ああもううるさい!


体調を崩していることが情けなくて、
彼がわかってくれないことが悲しくて、
ポケモンができないことが悔しくて、
なんだかこの状況全部がどうにもならなくて、

わたしは泣いていた。


彼が自殺未遂をしてからちょうど一週間が経っていた。
事が起きて、ようやく初めて涙を流した瞬間だった。

お風呂場で血を流す彼を見つけた時も、
意識が戻ったことを警官から聞いた時も、
意識が戻った彼と会話した時も、
新幹線のホームで彼に見送られた時も泣かなかったのに。

タガが外れた、とはこのことだろう。
泣くきっかけがポケモンだったのはちょっと面白いけど。

なんでこいつずっとニャオハのこと気にしてんだよわたしの体調心配しろよ命の恩人だろいや命の恩人じゃなくても彼女が苦しんでんだから自分の風邪がうつってんだからふつう心配すんだろ、

そもそも、


お前、ニャオハが立つかどうか分かる前、

ポケモン発売前に死のうとしてたんだろ

今更気にすんなよ!!!!


もしかして、

別れたいかもしれない。

新幹線の中で頭を掠めた選択肢を思い出した。

彼はまだ立ち直ったわけじゃない、分かっているつもりだ。
そんな状況で別れたくなっているわたし、冷たい?

今はまだ考えなくていいと思った。
自分の体調を戻すことが先決だ。

喉がどうにも痛かった。
喋ることも、食べることも、飲むことも、
喉が動く行為すべてを拒否する痛さだった。

そして大学生の頃もこんな厄介な風邪をひいたことを思い出した。
めったに体調を崩さないくせに、体調を崩すと扁桃炎を患うタイプのようだ。
大学生の頃は彼が看病しに来てくれたなあ、と思い出す。
彼はそれほど長い付き合いの人だった。

熱は下がったが身体はずっとだるい。
喉が痛いと栄養が取れず、治りも遅くなる。
治すためには無理にでもなにか身体にいれなければ。
こんなときでも自分で買い物にいかないといけないのが一人暮らしだ。
扁桃炎によく効くらしい小林製薬のハレナースを求めてドラッグストアに行った。
スポーツ飲料と、食べられそうなものを一緒に買い込む。

彼は数日前、体調を崩したときわたしに看病してもらえてたんだもんな。
うらやましいな。

パンパンに膨らんだエコバックをさげて帰路に着いた。11月ももう半分が過ぎ、夜風は上着を着ていても冷たくて、季節が着実に冬に近づいてることを予感させた。