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わたしのほうが死にてえよ【恋人が死のうとした②】

病院内は静かだった。

そもそも普段病院に行かない上、ここが初めて来る病院だから普段の喧騒をよく知らないが。
今日が土曜日で救急対応のみというのも関係があるだろう。

目の前を中学生くらいの女の子が腕に包帯をして通る。体操着だった。部活中に怪我をしてしまったらしい。付き添いで祖父母や顧問の先生もいた。当事者たちからしたら大変だろうが、なんとなく微笑ましく思えた。
それは、制服の警察官2人に挟まれた状態で長椅子に座っているわたしが異様だからだろうか。

その時新たに警察官2人が到着した。こちらは私服だった。よく知らないが管轄があるのだろう。いかにも刑事というような、ドラマでよく見るような風貌だった。ロングコートを着て鋭い眼光をした背の高い男と、物腰が柔らかそうな小柄な男の二人組だった。
警察官って本当にバディ行動なんだな、なんとなくキャラ付けがあるんだろうか、などとどうでもいいことを思う。

救急隊にも制服の警官にも先程したような説明をして、これまた先程されたのと同じような質問に答える。なかなかに面倒だし、さすがに自分自身の疲れを感じた。

「さて、行きましょうか」

唐突に声をかけられ、どこに行くのかと首を傾げた。
不思議そうなわたしに小柄なほうの警察官が説明をする。

「一度、いっしょに自宅に戻ります」

現場検証というものらしかった。状況的に彼の自殺未遂だろうし、事件性はないだろう。
しかし、玄関の鍵が開いていて誰かが侵入できる状況であったことと、彼が服薬した薬が何か分かっていないのも問題とのことだった。

病院の方は制服の警察官二人に任せ、小柄な警察官が運転する車に乗り込んだ。パトカーではなく、黒のレクサスだった。
重い空気を払拭するためなのか、車内はラジオが流れていた。
住所を告げるまでもなく、車はわたしの家の方へ進んでいく。
そもそも、初めて来た病院から自宅までの道のりなど案内できそうになかったので大いに助かった。
警察官2人は、「ここのご飯屋さん美味しいですよね」などと、意外と呑気な会話をしていた。
それが彼らの日常なのか、気遣いのひとつなのかはわたしには分からなかった。

「この辺りですよね」

そう言われる頃には案内できる景色になっていた。小柄な警察官は、アパートの近くのコインパークに車を停めるからと先にわたしと目つきの鋭い警察官をおろした。まずはアパートの外観を撮るところかららしい。
様々な角度で写真を撮り終えて、ようやくアパートの中へ入りエレベーターに乗った。

先程も彼を運び出す救急隊や駆けつけた制服の警察官は入った訳だが、改めて入室されるのはやはり抵抗があった。
洗っていない食器やごみの日を逃してしまい出し損ねたごみ袋、干したままの下着、なんなら連勤で疲れ果てた間に腐らせた野菜がある部屋に、いくら警察官と言えども人を、それも男をあげるなど嫌に決まっている。
こんなことになった自分の運命を呪った。

わたしのほうが死にてえよ。

もちろん警察官は職務なので慣れていた。淡々と調べていく。一人暮らしとしては十分な広さだったが、2人で過ごすには狭すぎるワンルーム。特に彼は洋服が好きで、わたしの衣装ケースを開け渡したのにも関わらず入りきらなかった衣類による山が床に積み上がっている。

「リビングにも血が垂れていますね」

「ここで切ってから風呂場に向かったのかな」

警察が血痕を調べている間にもわたしの視線は床の埃を追っていた。日々の掃除は大切だとこんな時に思い知らされる。

でもまさかこんな抜き打ちチェックされるなんて誰も思わないじゃん。

彼の財布も確認され写真を撮られた。レシートがパンパンの彼の財布を見るたびにわたしは「家計簿つけた方がいいよ。整頓しないと財布が傷むよ」と散々言っていたものだが、警察官たちは「レシートと札と小銭をすべて別のポケットにいれてますね。几帳面な人なんだ」と言った。
非日常を目の当たりにしている人からしたら十分几帳面なのかもしれない。

彼が手首を切る前に服用した薬を調べたかったのだが見つからなかった。そもそも飲んだと思われる薬類は既に救急隊に渡していた。
彼が何を飲んでなぜまだ意識を戻していないのかは未だ分からなかった。

「彼女さん、彼が心配ですよね。また病院に戻りましょう」

一通り、現場を調べ終えたわたしたちは車に戻った。車内には再びラジオが流れ、警官2人は相変わらず取り止めのない話をしていた。

ラジオから流れる音楽がふと耳をとらえた。
それは彼とふたりで応援してるアイドルグループの新曲だった。
また、それとは別の音が鳴る。目つきの鋭い警察官の携帯の着信音だった。ラジオの音量を絞って電話に出る。

「はい、もしもし…あっそうですか。よかった」

最悪の事態ではないようだった。

「いま戻ってる最中だったんですけど、また一度部屋に取りに戻ってから行きますわ」

電話を切り、わたしに声をかける。

「彼氏さん、意識戻ったってよ!よかったねえ」

「……そうですか。よかった」

頬には涙が伝って、

なんてことはなく、落ち着いた声が出た。
でもとりあえず、ほっとした。

音量を元に戻されたラジオからは、ラストサビが流れるところだった。
こんなところでドラマチックにならなくていいのに。

「目覚めたのは良かったんだけど、びしょ濡れだったから着替えが必要なんだって。もう一度部屋に戻って着替えを撮りに行きましょうか」

「わかりました。あの、彼のお母さんに連絡してあげてもいいですか」


もちろん、と頷くふたりに頭を下げて、自分の携帯を操作した。

「意識戻ったみたいです」

「ほんとに」「よかった」「なんであの子ほんとそんなこと」「でもほんとよかった」
涙声の彼の母親の声をぼんやりと聞いた。

眠いな。疲れたな。
まだ意識の戻った彼の姿を見ていないのにそんなことを思うわたしは薄情なんだろうな。

一気に疲労感が広がった。

警察官2人に車の中で待ってると告げられ、ひとりで部屋に戻る。とりあえず、彼の着替えを一式KALDIのバッグに詰め込んだ。
そして、ウォーターサーバーからコップに水を注いで一気に煽る。
先ほどは警察官を前にしていたから遠慮していたが、喉はカラカラだった。無理もない。時刻は午後の1時半。最後に水分を口にしたのは勤務中の朝7時頃だった。まだまだこの後の1日は長い予感がする。喉を潤し、すぐに車で待つ警察官の元に戻った。

病院に戻る途中、警察官たちはわたしに話しかけるようになった。ホテルの仕事について聞かれ、話した。さすがに今までは雑談を遠慮していたのだとその時に知った。ちょうど、全国旅行支援の過渡期だった。

「大変ですね」

労わってくれたのは仕事に対してか彼に対してか。

「頑張らないとですね」

窓の外を見ながらそれだけ返した。



病院について彼の元に通された。

「彼女さん来ましたよ」

看護師が彼に声をかける。なにかのチューブに繋がれたままの彼が瞼を開けた。

ベッドに横たわる彼の姿を見たらさすがに泣くだろうか、と思っていた。
そういうシーンをよく見るように思う。
目を覚ます彼とそんな彼の首筋にしがみついて泣き崩れる彼女。
でも現実はそんなことなかった。
わたしは彼の姿をぼんやり見つめ、彼も「ごめん」でも「ありがとう」でもないなにかを口の中で呟いた。
泣こうと思えば泣けたようにも、怒ろうと思えば怒れたように思う。この時の適切な対応がわたしには分からなかった。わたしはどんな表情で、どんな言葉をかけたのだろうか。今では思い出せない。

警官たちは自分たちの任務を終え帰っていった。これもおそらく彼らの日常だろう。


わたしの日常はどこだろうか。

まだこの夢は続いている。
長い長い夢になる予感がする。
どこまでわたしは背負えるだろうか。

ただ、守らなければいけないと思った。
自分より弱い生命を。