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ΔД 「みょーん」を超える

パパジとサットサンの続きです

では、真我と行き来するための私の手順を探るにはどうすればいいでしょう

私はそれをみたい、分りたいと望んでいます

分かる はあります、動いて探しても見つからないでしょう

とどまっても、何も起こりません
この状態が真我なのでしょうか

それは静止の状態です
(みょーん は単に止まってるだけだったのか!)

ではこのとどまった状態から、どうすれば、どうしなければいいのでしょう

みるのです

見るとはどういうことでしょう
見るとは知ることだというのは分ります
確かに、見ることとみて何らかの印象(考え)を持つことは別のことです

ただ見るのです

そこに何があるでしょう

何もない、何も起こっていないを見ると
何もない があるのが見えます
何も起こっていない のがあるのが見えます

ではその ある をみてください

私という個体の周囲でいろんなことが起こっているのが分ります

ではその私という個体を見てください

思考が起こっています

ではその思考を見てください
一体何がその思考を見ていますか

私ですが、一個人の私ではない私です

思考が起こっているのに気づいているだけです

自分がそれであることを知りました

どこにも行かない、それです

そこに常にいるのです
とどまりましょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みょーん の先があったとは!

今回たどり着いた「気づいている」はどうやら「私」の一番最初の始まりの部分みたいです
(読む→理解する→判断する・・・で書いた「読むだけ」の部分と同じ感じ)

真我ではなく

なんていうか、「真我」と真我から立ち上がってる「波」の境目の部分ていうの?
私という自我が一番最初に気づきとして起こってる部分です

そこから少し離れると、次に思考とか判断がくるっぽいです

波であることを自覚しつつ、真我に戻ってまた再び違う波として立ち上がりたい!

サットサンはこれからも毎日続けて、深めていきたいと思います
なんつったってパパジ経由でチャネりながらやれるんだもん
やめるわけにはいきません




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