見出し画像

д37 ここで現れただけ

ふと、死ぬことって死ぬ側から見たらどんな感じなのかを聞いてみたらΔからまさかの「じゃあ死んでみればいいじゃないですか」というアドヴァイス(?)が。

え、そうなの?ということで死んでみたのですが(前回の男になるのノリでね)
なかなか面白い体験でした
それはそれとして

とりあえず死んで意識だけになって、さらに個としての意識からも自由になって、本当に自分が分からなくなったところで再び意識が何かに集中して個が現れ、それが様々な物質や現象を移動してゆくあたりで

あれ、これって輪廻転生ってこのこと?
と考えたことにより生き返っちゃったんですけど(素に返った)

まだちょっとトランスがかった状態で隣に寝ている猫を見た瞬間、全部がこの瞬間に自分の意識が集中しているところで現れているというのが、なんとなく分かっちゃいました

つまりですね、この瞬間すらも実際にはなくて 今っていうより「ここ」(意識が焦点を結んでる地点)に目の前の猫も私の手も座ってるベッドも布団もクッションも、私がいる部屋も上の階から聞こえてくる人々の声も 現れてるだけなんだと。

それってあんたがその家に暮らしてて、猫飼ってて、上の階にたまにパーティーやってうるさい住人が今日たまたま騒いでるからそれを描写してるだけなんじゃないの。っていうふうに今までだったら紐づけていたのですが

そうじゃなくてね

ここで焦点を結んでいる意識が、
この家に暮らしてて、猫飼ってて、上の階にたまにパーティーやってうるさい住人が今日たまたま騒いでる
っていう「これまでの過去を含めて現れた現象を認識している」だけなの

「これまでの過去」なんてどこにも無くてね
この瞬間ていうかここで、理由づけ的な立ち位置で「過去として」一緒に現れているからそういう過去というか原因があって、それで今の状況があるって認識してるだけ

それがすごい速さで延々起こり続けてるだけっていうか
本当は続いてすらいない
ここで気づいて終わりっていうか、本当は起こってもいない
気づいているだけ。認識が起こってるだけ。

時間ってないんですねぇ。
いやー、時間て自分の頭で考えて作ってるだけなんですねぇ。ていうか思い込んでるだけ。

あるのはここだけ、ここでの気づいてる意識だけ
過去とか未来とかが無いだけじゃなくて
今とかこの瞬間とかも、多分本当はないっぽいですよ。
それしかない

連続して起こっている何かとか、記憶にある過去とか、本で読んだ歴史とか
これら全部ここで存在してると認識している気づきが起こった瞬間に、思考がストーリーを紡ぎ出してそこに「気づき(認識)」が焦点を結び始める
そうすると今までの人生とかが認識されて、さっきまでの現実が認識されて
その世界にいるっていう認識が更なる予想を始めて、過去を思い出してっていう状況を含めた「ここでの気づき」が起こり続けるから

それの中にいたら(それに意識が向いてたら)自分がここで起こしている(気づいている)現実に居続けてるって思い込んでる「それ」が 現実世界という物質や現象としてニュッと現れて・・・
堂々巡りしてるだけ

あ、分かった
思考がなかったからそれを観察できたんだ

ねえねえ、これ読んでるあなたも少しは感じれた?
同じ気づきをシェアできた?

ちょっと今また正気に戻って来たので、思考に飲み込まれないように騙し騙し書いてるけど
次また同じふうにガッツリ気づいちゃったら、今度は行けるとこまで行っちゃうかもしれないので、そしたら記事の更新が止まるかもしれません
わーやばー
おもろー

でも時間も世界も本当はなくて、勝手に現れてるだけって思ったらマジでいろんなことが本気でどーでも良くなる。
なんかね、意図的な現実創造って本当は意図のない現実創造として勝手に起こってる状態のことみたいですよ

意図は後付け

逆説的っていうか、意図がない状態になると全部どうでも良くなるから、全部勝手に簡単に現れてくるのを認識することが可能になる
だから、それに伴った(相応しいでもいいけど)意図を持ったという過去が一緒に現れてそれを同時に認識するから

意図したことが叶った って風に思考が判断するみたいです

一体なぜ「死んでみた」ところからこんな展開になってしまったのやら
ひょっとしたら、死ぬことが鍵だったのかもしれません

明日は6時起きなのでさっさと寝てしまいたいのですが、明日の用事も6時という時間も本当はどこにもないのだと分かっちゃったからには、ちゃんと寝れるか心配です。

現場からは以上です


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?